映画『ボヴァリー夫人』『悪童日記』をみた

感情的にざっくり語ってしまうと世間知らずの若い女の人と、若妻騙して自分だけいい思いしたい男たち、何も気づかない呑気な夫、全員クソかよ……?ってとこですが、時代のせいでもある。不倫がメインテーマという風で、女の人が生きることを描いた作品なのかなと思った。デッドエンドだが。
女の人が自分の力で幸せを手に入れることが難しかった時代、浪費して不倫した女の人は死ななきゃいけなかったんかもしれない。自分の興味を追求する自由やサクッと離婚できる身軽さがあればこんな風に死ぬ必要はなかった。と思う。
それからこれも時代だろうが主人公の女性の、幸福に対する考えが甘いというか浅いというか、幸福は男の人から貰えるものではないと思う。自分で行動して見つけていくものでもある。冒険心やクリエイティブな感覚を持って生きることの大切さを逆にめっちゃ感じました。。主人公は勝ち気で好奇心旺盛で賢い女の人って感じがした。それを家に閉じ込めるだけだった時代ってのがあったんだな。と。
今は男の人も女の人も古い価値観に囚われず自由に生きてこって世の中になったけど、女の人は特に男の人に頼らないでも好きに生きていけるんだよってきちんと意識しなきゃ人生を潰してしまうことになるだろう。自分で考えるような教育が大事なんかなと思う。何事も選ぶのは自分であるべきだから。

この前に『悪童日記』もみている。これもなかなか胸糞悪い文学映画だった。母・祖母、女の人の描き方について考えさせられるところがあったのだが、全員悪女として描かれており、お母さん、教会の女の人なんかが特に最悪だった。祖母と隣の子は最初クソババ、クソガキかと思ったがめちゃくちゃ人間だーーー!!!って好きになる場面があって、彼女達が死んだときの絶望感半端なかった。。逆にお母さんざまぁ、、教会の女ざまぁってかもっと裁かれるべきでは……???くらいのうんこっぷりでした。ずっとしんどい映画だけど、お父さんが捕虜になってしまっていてやっと帰ってきたとき、お母さんの墓を暴いて知らない赤子を発見し、妻がバリバリ不倫してた事実を突きつけられた場面はしんどい通り越して人間ってグロテスクだな、人間なんかを信じちゃダメだったんだよ……というモードに突入してしまった。

最後、離れるのを嫌がっていた双子が自分たちの意思で“片方が国境を越える”という別れを選ぶ意味がいまいちわかんなかった。身内がたくさん死んでしまって嫌なものをたくさん見て、2人きりでいることに限界を感じたんだろうか。前向きに生きるためにそれぞれ別の人生を生きる、という道を選んだんだろうか。セリフで描かれなかったから想像するしかないんだな(といいつつ字幕見落としてたらわたしが悪いけど)。

て感じ。それぞれ原作有名だけど未読。文芸作品原作の映画は昔から好きだけど、毎回トラウマ級に刻まれるものがある気がする。罪と罰とか緋文字とか、パンドラの匣とか。
その点『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は時代における女の人の葛藤とめっちゃがんばって幸せ手に入れるんだ!って強さと、みんなそれぞれがんばっててそれでもすれ違って傷ついて、でも誰も悪くないじゃん、、みたいな、いい映画だったな。ほんとのポジティブさってこれだなって思った記憶ある。

生きていたいし絵を描きたいし文章書きたいしごはん食べたいと思う。