230326 生きることと生かされること
平日、僕は生きるために仕事によって生かされていて、休日、僕はこのために生きている。
とはいえ、平日であっても、何かを成し遂げたり、人から感謝されたりしたときに、僕は生きている。
今週末はずっと雨で、特に予定もなく、遅く起きてしまい、生きる気力もなかった。
勉強をしたり本を読んだりしたりする気力もなく、所在なくSNSをダラダラと見ているとき、確かに僕は生かされていた。
夜、黙々と豚のロース肉を切り、炒め、トマト缶としめじと程々の調味料を入れて煮込む。キッチンで、僕は確かに生きている。そこそこに美味しい。
近所の銭湯に行く。広い湯船で僕は生かされている。銭湯は今日も大盛況だ。湯船に浸かり、極楽極楽と言いながら、みな生かされた表情をしている。学生、外国人、痩せてしまい骨が浮かび上がった老人。
サウナに行く。もはや人は生きているのか生きていないのか分からない眼差しをしている。サウナに入ると生き返ると言うものだから、そこにいる人は一度死んでいるのかもしれない。水風呂に浸かると、僕は生きた心地がする。
「生きること」と「生かされること」は絶えず反転しながら、時は進んでいるが、絶えず反転しているそれを遠目で見ても絵は浮かび上がってこない。絵が描かれているのは、「生きること」のみのように思う。もう少し、生きていきたい。
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