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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第9章(1980年代全般・・・その4)
(4) カントリー&ブルーグラス
80年代に入り、ウェストコーストでは、イーグルスに代表されるウェストコースト、カントリー・ロックグループが、ほとんど解散しAOR、そしてLAメタルが流行していきました。
そんな中、カントリー・ロックに近いところでは、アラバマが大ブレイク、又、ベテラン組では、チャーリー・ダニエルズやNGDBもカントリー色やポップス色を強めたアルバムで復活しました。
ソロアーティストでは、ポップ・カントリー路線に舵を切った、ケニー・ロジャース、ドリー・パートン、ジャッズ、ウイリー・ネルソン、ロザンヌ・キャッシュ、ネオトラディッショナルなカントリーでは、ジョージ・ストレイト、アラン・ジャクソン、ランディ・トラヴィス、ドワイト・ヨーカム、ブルーグラスからカントリーへ挑戦したリッキー・スキャッグス、キース・ウイットリー等もヒットを続出しました。
ブルーグラスは、70年代にニュー・グラスと呼ばれた革新的な音楽が次々と誕生し、大きな転換期を迎えましたが、80年代に入ると、それをより発展させていく動き以上に伝統的なブルーグラスに回帰(ザ・ブルーグラス アルバム バンド等)していくような動きも見られていきました。
(5) ラップ&ヒップホップ
一方で80年代半ば、カントリー&ブルーグラスの対極とも言える、ラップ&ヒップホップはアメリカン・ポップにおける台風の目になりました。その象徴的なグループが、RUN-D.M.Cとビースティ・ボーイズでした。
英語力の乏しい自分にとっては、歌詞の意味が極めて重要なラップには、うまく付いていけませんでしたが、RUN-D.M.Cのロックをキーワードにエアロ・スミスと共演した「ウォーク・ディス・ウェイ」が話題を呼び、すぐにシングル盤を買いにレコード店へ行った覚えがあります(今でも持ってます)。
そしてビースティ・ボーイズは、白人ヒップホップグループ(私には、ヒップホップ・パンクロック)。ニューヨークの白人でパンク色の強いアルバムLicensed to Illが、大ヒットとなり、その中の「ファイト・フォー・ユア・ライト」は、かなり斬新だったので結構聴きました。
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