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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第4章(1930年代後半~40年代中頃まで・・・その4)


(4)フォーク

 私たちより少し前の世代は、最初の洋楽との出会いがモダンフォーク(キングストン・トリオ、ブラザース・フォー、PPM等)だったという人は、かなり多いと思いますが、そもそもフォークソングとは一体どういう音楽をいうのか?は、個人的にもかなり難しいテーマの一つです。

 南部の白人音楽であるヒルビリーは、アイリッッシュ系やスコットランド系等の移民によるイギリス系民謡や伝承バラッドが、アパラチアン山脈の東南部辺りのブルースと影響しあいながら発展してきたと思われますが、そうした中で「フォーク」とは一体何なのか?民謡やバラッドをルーツに持つ音楽と言う意味では、ヒルビリーやブルースも同様なので、良く分からなくなってしまいます。広義の意味での伝承音楽としては、ヒルビリーやブルースもフォークの一部とも言えると思いますが、1930年代にルイジアナの刑務所で発見された「レッド・ベリー」は、ブルースもバラッドもなんでもござれのソングスターでジャンル上は、ブルースシンガーでもあり、フォークシンガーでもあったと思います。

 一方、都会のフォーク運動の始まりは、大不況期の1929年~30年にかけて北部の労働組合の幹部が南部の工場、炭鉱に入り込みストライキで現地労働者と共闘したときに始まり、その際に古い民謡の旋律を利用した戦闘的な社会抗議の歌(プロテストソング)が盛んに歌われました。

 そうした中、都会のフォーク運動の始祖となる「ウディ・ガスリー」(怒りの葡萄で有名な、オクラホマから無賃列車で西へ移動し、仕事を探し、放浪しながらトラディッショナルナンバーやプロテストソングを歌い旅する、いわゆるホーボーとしても有名ですが・・・かつてはヒルビリー歌手であったと言われています)は、1938年にニューヨークに現れ都会の自由主義者たちに社会正義のために戦う生きた見本と見なされたようです。こうした経緯を考えると、狭義と言うか、ジャンルとしての「フォーク」は、私の独断と偏見で定義すると、サウンド面より歌詞のメッセージ性こそが生命線だと特定し、ブルースやヒルビリーとは区別し、別項目として今回取り上げることとしました。

 そして1940年には、音楽学者の長男で社会主義思想を背景に民謡を民主主義に取り込んでいたピート・シーガーが、リー・ヘイズらと共にウディ・ガスリーに声をかけ「アルマナック・シンガース」を組成することになります。こうした流れが、戦後の人気グループ「ウィーバーズ」へと繋がっていきますが、ウィーバーズについては、次章で触れたいと思います。


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フォークもブルースもゴスペル。ジャンルを超えた歌手ですね

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ボブ・ディラン他、にも多くフォークシンガーに影響を与えました

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ピートシーガー、ウディガスリー参加

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私のフォークソングのイメージは、この人が先頭を走ったプロテストソングです

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