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アメリカン・ミュージック・ヒストリー第2章(1890年代~1920年代中頃まで・・・その7)


(5)ワールドミュージック

 この章は、「アメリカン・ミュージック・ビギニングス」ですが、広く世界にも目を向けてみると、この時期に多くのワールドミュージックが成立しているので触れておきたいと思います。

 まず、フランスのミュゼットとシャンソン、ポルトガルのファド、アルゼンチンのタンゴ、これにニューオリンズのジャズを混ぜても良いかも知れません。イタリア、ナポリのカンツォーネは断然古いですが、広く解釈するとスペインのフラメンコ、ブラジルのショーロ、キューバのソン、ボレロ等もワールドミュージックの仲間に入れてもいいのではないかと思います。


(6)日本の流行歌

 日本のポピュラー音楽は、昭和元年が1926年なので1890年代から1920年代中頃までとなると明治・大正時代ということになります。

 私の保持している日本の流行歌で最も古い録音は、1900年(明治33年)パリ万博で日本の演芸文化を紹介している川上音二郎一座のステージで、オッペケペー節をはじめ、長唄、演芸等が披露されているものです。

 オッペケペー節は、1890年代(日清戦争時)頃から大流行し、今でいうヨーロッパツアー中にパリ万博で録音されたようで、どうやらこれが日本の曲では一番古い音源のようです。

 また、アメリカ音楽最初のヒット曲のヤンキー・ドゥードゥルと似た意味での日本最初のヒット曲は、明治維新時(1868年)での官軍方の軍歌、行進曲「宮さん 宮さん」(当然ながら、当時の録音はありませんが、大村益次郎作曲らしいです)だったのかも知れません。

 話を少し戻して、近代歌謡のいわゆる流行歌の最初のヒット曲と言えば、一般的には芸術座の舞台での劇中歌で松井須磨子が唄った「カチュウシャの唄」(1914年・・大正3年)と「ゴンドラの唄」(1915年・・大正4年)だと言われています。

 この頃は、蓄音機は高級品だったため演歌師による歌本や楽譜等も流行に大きく影響しました。もう一つ大正時代の象徴的な名曲として「船頭小唄」(関東大震災があった大正12年の歌謡無声映画の主題歌)の大流行があったことを付け加えておきます。

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パリの裏町の映像には、必ずミュゼットが流れますね。

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カンツォーネ、シャンソンと並ぶヨーロッパ3大大衆音楽のポルトガル(特にリスボン)のファド。哀愁あるメロディーは、日本歌謡を思わせます。

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カンツォーネの歴史が、網羅された全集。

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カンツォーネの始まりは、ナポリ(ナポリーナ)と言われていますが、ミルバがナポリーナを歌ったアルバムです。

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アルゼンチンタンゴは、ブエノスアイレスのダンス音楽で、歌もののイメージは、余りないかもしれませんが、これは国民的英雄のタンゴ歌手カルロス・ガルデル。

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中村とうようさん編集のキューバ音楽の歴史がわかるオムニバス。アメリカルーツ音楽と並んで奥が深い。

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宮さん宮さんを都はるみ、カチューシャの唄を美空ひばり、ゴンドラの唄や船頭小唄を森繁久彌等、明治・大正の流行歌の有名歌手によるオムニバス。


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