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やりたいことはないけれど、できることはある

ぼくにはこれといってやりたいことがない。
そのことに気づいたのは今から数年前、二社目の会社を辞めた後だ。
その会社にいたとき、ぼくは仕事が終わり家に帰ってからいつも小説を書いていた。

仕事ではある程度の実績はあげていた。
けれどずっとその会社で仕事をしていくイメージはなかった。
毎日遅くまで残業、忙しい時期になると休日出勤。
平社員だったからまだよかった。管理職になったら、上層部から自動的に降ってくる数字に責任を負わされ、非現実的な目標をどう達成するのかと机上の空論を積み上げていく。

例え給料が上がっても、こんなふうにはなりたくないなあ。
それより、ぼくにはやりたいことがあった。
小説を書くことだ。
ままならない日常、うまくいかない人生。そんなものを題材に、自分で物語を作り上げる。
会社とは別に、書くことを学んだり、ちょっとした仕事を請け負ったりもしていた。

でも、時間が足りない。
残業後、睡眠時間を削っていたけれど、続けていたらいずれは立ちいかなくなってしまう。
これから管理職に移行でもしたら会社の仕事に追われる。
そうなったら、書くことはできなくなってしまう。

目いっぱい書くことに集中したい。頭の中にある書きたいことを好きなだけ形にしたい。
そう思って会社を辞めた。
けれど、辞めたとたんに書きたいことそのものが消えてしまった。

書く時間はいくらでもある。取材に行くことだってできる。インプットのために本を読んだり、取材に行くこともできる。
けれど、情熱をもって書きたいと思うものがない。
会社員だったときはあれほど書きたいことがあったのに。

書く仕事はあった、でもそれをする気にもなれなかった。
会社を辞めた直後は、それまで観に行けなかった映画を見たり、長編の小説をたくさん読んだり、好きに旅行に行ったりした。
それで十分だった。
その時に気づいた。

そうか、ぼくは別に書くことがしたかったわけじゃないんだ。
会社にいたときは、仕事やこれからの将来が不安で、それを紛らわせるために書いていたんだ。書きたいことの源は、そこからくる不安が湧きだしたものだった。
会社を辞めて、一時期とは言え不安がなくなった。だから、書きたいことも消えてしまった。
ぼくには情熱をもって形にしたいことや、どうしても誰かに伝えたいことはないんだ。だからいくら時間があったとしても、それを書くために使おうとは思わないんだ。

会社を辞めてから半年、ほとんど仕事もせずに休めるだけ休んだ。
仕事をしようとは思ったけれど、特にやりたい、と思うものはなかった。
そんなとき、旧友からとある宇宙開発のプロジェクトを立ち上げるから手伝ってほしいと頼まれた。
そのプロジェクトの内容は別にぼくが興味のあるものではなかった。
けれど、旧友のプロジェクトへかける想いなどなどを聞いていたら「面白いかもしれない」と思うようになり、「どうしても助けてほしい」と言われてそのプロジェクトを手伝うことにした。

ゼロから何かを作ることはとても楽しかった。それも一緒に作るメンバーは気心のしれたなじみの仲間だったり、昔から宇宙が好きでたまらなく情熱にあふれる人であったり。
ある程度プロジェクトが軌道に乗って、ぼくはそこから離れることになったけれど、宇宙や宇宙開発にひたすらあこがれを持つ人たちと一緒に仕事をすることそのものはとても有意義なものだった。

一つのことに情熱を傾けられる人たちが羨ましかった。
自分にもそんなものがあるんだろうか。
そう思って興味を持った別の仕事をするようになった。
でも「どうしてもこれがしたい!」と思えるものに巡り合うことはなかった。
それは今もそうだ。

「やりたいことをやれ」と人は言うけれど、ぼくにはその「やりたいこと」が特にないのだ。
やるなと言われてもやりたいと思えること、時間があればあるだけやってしまうこと、そういうことはぼくにはない。
興味を持つ事柄はあるけれど、ある程度味わったら別のことに向いてしまう。
昔は「今はやりたいことに出会っていないだけで、いつか運命の何かに出会うに違いない」と思っていたけれど、たぶんこれからもそんなものに出会う気はしない。

やりたいことがないぼくはなにをすればいいんだろう。
そんなことをいつも考える。
けれどたいていそんなとき、ぼくのことを知る誰かが「こういうことをやってほしい」と言ってくれる。
「どうしてもやりたい」わけではないし、それをずっと続けるかどうかはわからない。けれど、しばらくの間はやろうと思えること。それをしていると「やってくれてありがとう」とか、「よかったよ」と言ってくれる人がいる。

「やりたいこと」に巡り合うために、ぼくはいろいろなことに手を出して、いろいろな経験をして、いろいろなスキルを身につけた。
営業のスキル、ライティングや編集のスキル、新しくプロジェクトを立ち上げるスキル。
ひとつひとつは極めたわけではない半端なもの。
けれど、それらをくっつけたり合わせたりして仕事をしていると、誰かが「これをやってくれないか」と言ってくる。
どうやら、やりたいことを探す旅をしていて身につけてきたものは、誰かにとって役立つものであるらしい。

「やりたいことをやれ」と人は言う。
けれど、やりたいことがない人もいるのだ。
それは別にいいとか悪いとかじゃない。
やりたいことがある人と、特にやりたいことはない人がいるだけだ。
やりたいことがある人はやればいい。
やりたいことがあるかどうか、はたぶんあまり大きな問題ではないのだ。
その人にはその人なりにできることがある。
それを自分が求めてはいないかもしれない。
でもどういうわけか、その「できることを求めている」誰かがいるものなのだ。
だから無理に「やりたいことを探す」のではなく、できることをすればいい。
そうしているとできることが増えて、また面白い出来事や人に出会って、そして誰かが自分のことを必要としてくれる。

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