ひぃじーちゃんの11回目の命日

皆さん
こんにちは
コミケ行きたい(願望)から
先日1回目のワクチンをしゃーなし撃った
小田切です。

今日はひぃじーちゃん事じーじの11回忌
フリーターの時に1回墓参り行けたっきり
行けてないんよな。
また地元戻った時にでも墓参りしないとなー

じーじの生前の印象と言ったら
怒る・恐い
だったんだよな(笑)
でも優しかった!
まあ物心つくまでは苦手やったわ。
じーじは大学とか考えてくれて
14の時に費用くれてたんよな
(そのmoneyはその数年後に蒸発したクソ親父のおかげで消えましたとさ)
てか、早稲田に行って欲しかったらしい事を
ばぁばから聞いたな。
僕はあんまし頭は良く無かったから申し訳ないな。墓参りの時にちゃんと謝っとよ(笑)

他に聞いた話は
戦争を経験して
銃弾4発受けて瀕死で治療場に運ばれて
瀕死とかって後回しにされかねないけど
何の因果かその治療場のお偉いがじーじの知ってる人で命懸けで助けてくれたという。
何たる悪運の強さ。
じーじの銃痕を見たことはないけど
僕自身のありとあらゆる運が超越してるのと
人に恵まれてるのを考えるならこの話は事実なんやろ。
(人に恵まれるけど
それが良縁だろうが悪縁だろうが
大あまちゃん過ぎて
余程じゃない限り切れないというゴミっぷり)

話は脱線するけど
日本の血は大阪と山梨というのが3世代前までで分かってるのはこの2つだけやけど山梨の方が濃く出たんやろうな

11年前に倒れて
病院で入院生活になって
僕は高校受験とかで塾とか勉強しててなかなか行けなくてある1日だけ行けて
足を運んだその日を今でも覚えてる。
目が自分自身で焦点が定められず
言葉を話す力さえ残り火の様で。
笑顔で何かを言ってくれた。

そして、その次の日に意識が無くなった。
まるで俺が来るまで残り火を消さないように
激痛に耐えながら待っていたんだと…
(これに気づいたのは大学とか僕自身がもう少し大人になった時だけど
4の瀬戸際で急にげんきになったりしてその数日に亡くなられるという事象があるのを
最近知った)
お焼香をあげる時は普段通りで終わった後
トイレに行って手を洗って鏡を見た時に大泣きした。

違うのは分かってるけど
半ば呪いの如く自分のせいで意識が失ったんだと想っちまうから
その時の出来事が頭に映像の様に思い出して涙が流れる。

11回忌のこのタイミングに書いてるのも
何かの必然なんだろうな。
後は僕自身が因果的に「1」と縁が深いからでもあるんやろうな。
剣道のお師匠と共に見守っていてくれ。

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