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シリーズ 見栄について語る1

今日から暫く、見栄について話をしていきましょう。ざっくばらんに語る内容なので、格別構成してません。思うことを書き綴った内容ですので、無償公開にしています。

見栄は世界のどこの国の人にもありますが、その見栄っ張りさ加減や何に対して見栄を張るかは個々人の考え方や宗教、風習、地域性などによって異なります。

日本の中でもテレビで取り上げられるような愛知県の結婚での大量の嫁入り道具を運ぶ行列は習慣ですが、他の地域の人から見ると見栄っ張りだなぁーっていう風に見えます。

見栄というのはあからさまに本人が意識して張らない限り、それ自体の多くはある意味無意識に行われているということになります。つまり、私たちが見栄を張ってると感じることの多くは、見栄を張っているとされる本人が意識的に見栄を張ってるわけではなく、見栄を張ってると評価している側により決定されているということです。

自分で意識的に見栄を張るという行為をしたという確証がない限り、他人が見栄を張ってると思うのは、あなたの意識の問題なのだという理解をしておくと良いでしょう。

ということで、他人が見栄を張ってると思うこと自体はやや浅ましい感覚になるのですが、とはいえ他人が見栄を張ってると思うこと自体はなんとなく他人を下に見ているような感じがして心地よいと思うのが人です。良い習慣や感覚ではありませんが、人である以上ある意味仕方がないことなのですね。

身近なところで見る見栄もたくさんあります。例えば、「医学部の彼氏がいる」という見栄、これは見栄ですが完全な嘘の場合もあります。見栄は虚飾という言い方をすることができるかもしれませんね。

嘘だと分かると、見栄は嘘つきとかインチキとかに言葉が変わっていきます。見栄の張り方は、盛り方次第なのです。自分が少し頑張れば達成できるくらいのことだったら見栄を張っても分かりはしません。しかし、自分の実態と大きくかけ離れた見栄を張ると、その見栄を達成することが極めて難しくなります。例えば資産が10億円あるという見栄と貯金が30万円あるという見栄のいずれが早く現実化できるかは簡単に分かるかと思います。

適切に盛られた見栄を見破ることは困難ですが、見栄を張る人は大抵見破れる程度の見栄を張ります。なので、一般的には見栄を見破ることは難しくないのです。

ということもあり、最近は「見栄を張る」という言い方よりも、「盛ってる」とか「盛り過ぎ」といったような形で表現することが多いように思います。

この盛るという行為は自らの意志で行うので、まさに見栄を張るという行為と一緒なのですね。客体を見ている側も「盛ってる?」などと質問をし、「見栄を張ってるのか?」という訊ね方よりも遥かに軽い感じで相手のマインドをチェックすることができます。

見栄を張るという言い方は既に古風な言い方なのかもしれませんね。相手に「それって見栄?」と訊ねるのは、年上にするのがかなり失礼にあたる感覚がありますが、「先輩、それってかなり盛ってませんか?」って訊ねてもあまり失礼な感じがしないだろうと思います

面白いもんですね。

さて、言葉の話はこんなところでやめておいて、私たちから見た「見栄を張ってる」と思う行為、これについて取り上げていきましょう。ここからがどう楽しんで笑えるかです。

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https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/17/051700115/?SS=imgview&FD=1420927604

これは中国人の結婚写真ですが、20年以上前からこんな感じの写真を結婚写真として撮ってる人達が多いです。ある意味、中国や台湾、その他華僑がいる国ではごく当たり前の写真で、ほぼ文化に近いものです。

しかし我々日本人から見ると、写真は明らかに度を超えた盛り過ぎであり、見栄っ張りの称号を与えたくなるでしょう。しかしながら、毎年100万以上のカップルにその称号を与える必要があり、そうなるとこれは見栄ではなく文化や風習なんだと捉えた方が適切になってきます。

とはいえ、初めて見るとすごい写真ですよね。私も20年以上前に似たような写真を初めて見た時には、「虚飾まみれの中国人、見栄っ張り世界一」くらいに思いましたが、今では「結婚の儀式や思い出を大切にする人達」という理解をしています。

色んな見栄がありますので、少しずつですが紹介していきましょう。

お楽しみに。


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