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死に直面し、第二の人生がスタート

今回は、私が大学2年生の時に一度命を落としかけた話をご紹介したいと思います。
毎回固い話なので、たまには学生時代の話をさせていただければと思います。

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ちょうど私が二十歳の頃でした。当時から車が大好きで、暇さえあれば車の手入れをしたり無駄に走り回ったりしていました。私の青春ともいえる日々です。

その日の昼間、私はアルバイトをしていました。当時のアルバイトは、ファミリーレストランのウェイターです。

バイトが終わったのは、午後7時ぐらいでしょうか。暇だったのでそのままいつものように車を走らせていました。空は暗く、雨も降っていて、少し前が見にくいなと感じていました。

当時は毎日のように遊んでいたし、アルバイトで疲れていたこともあり、少し眠気も入ってました。しかし車大好きな私としては、雨だろうと雪だろうと時間さえあれば走り回る!この習性だけは取り払うことはできませんでした。

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田舎なので、周りを走る車も少なく、歩く人もほとんどおらず、調子に乗った私はスピードを落とさないままカーブを曲がろうとしました。その時、スリップを起こして道路沿いの家の塀に激突してしまったのです。当時はまだシートベルトが義務付け前だったので、私はシートベルトをしていませんでした。

まっすぐコンクリート塀に突っ込んだその時に、私の体はほんの少し宙に浮き、そのまま前のフロントグラスに頭から突っ込みました。

後で警察から聞いた話では、フロントグラスは蜘蛛の巣のように割れ、ハンドルはへし曲がっていたとのことです。

私の後ろを走ってきた車が事故に気付き、救急車を呼んでくれました。喉をハンドルに思いきり打ち付けていた私は、その時すでに呼吸ができませんでした。「救急車が来るまで俺は持たないな...」不思議なほど冷静に、そんなことを思っていました。

救急車を呼んでくれた老夫婦の奥様の方が、私の血だらけの顔を一生懸命ティッシュペーパーで拭いてくれたのを覚えています。

その後、救急車で約30分の救急病院に運ばれました。なぜかそこまでは意識がありました。医師があれこれ指示を出していて、私はレントゲン室に運ばれました。そこで意識が途切れました。私の目は開いたままだったそうです。

次に目覚めた時は病室でした。体にはチューブだらけで喉には空気を通す管が刺さっていました。手術は意識不明の重体(心拍一時停止)だったために麻酔なしで全て行ったとの説明を受けました。もちろんこれらの説明はすべて元気になってから聞いたことですが。

偶然にも、東京の大学病院の外科医の先生が当直に来ていたそうで、そのおかげで私は助かったという話も聞きました。

その後病室で治療を受けながら、面会謝絶は2週間続きました。怪我で一番ひどかったのはやはり喉で、内出血で気管が塞がり、なおかつ首の骨が一部欠けていたとのことでした。

しかし入院してからの回復は非常に早く、約1ヶ月半で退院を迎えることができました。

色々な人に迷惑をかけてしまいましたし、また両親をひどく心配させてしまい、私は猛省しました。ただ、変な言い方かもしれませんが、私にとってこの出来事は人生観を変える貴重な経験にもなりました。これをきっかけに危ない運転は絶対にしないようになりましたし、何より救急車を呼んでくれた方や手術をしてくれた先生、死にかけていた私を退院までお世話してくれた医療関係の人達など、色々な人に命を救ってもらったことに心から感謝し、命の大切さに気付くことができました。

あれから30年以上がたった現在も、首元に残る傷跡を見ると当時のことを鮮明に思い出します。

私が言うのはおこがましいですが、皆さんも車を運転する方はくれぐれも安全運転を……。決して私のようにならないようにしてください。

以上、今回は私の若い頃の苦い思い出をお話しさせていただきました。次回はまた商談の話の続きや営業の仕事についてお伝えしていきたいと思います。

今回も最後までお読み頂きましてありがとうございました。

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