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会社の先輩の話(熊のような先輩)

今の職場に勤めて14年ほどになるが、自分のためになったな~、と思えるポジティブなことを思い起こしてみようと思う。

何の役に立つかはわからないが、不平や不満は自然と出てくるのに、良かったな~と思えることは自然と出てこない自分に少し嫌気がさしたからだ。


不満といえば上司だ。

これまで大体の上司に対しては、不満というか的を得ないしっくりこないという感想しかなかった。

そんな中、今ではほとんど絡むこともなくなったが、心から出会えて良かったと思える先輩が二人いる。

それぞれ、熊のような先輩人間味がある”のれん”のような先輩だ。

それぞれのエピソードを思い出しながら書いてみる。



熊のような先輩

私はとある企業の社員なのだが、新人の時、わからないことがあると一緒に仕事していた先輩にこうアドバイスを受けた。

「何かわからないことあれば、あそこにいる熊みたいな人に聞くといいよ。」

今思うと「あなたが教えてよ」と思うのだが、その指さされた先にいた人は、少し色が黒く、ちょっとずんぐりしていて、本人には口が裂けても言えないが、見た目がほんの少し、ほんの少しだけ、熊のようだった。



■教えを乞うた時の話■

ある日、人工衛星の教科書を読んでいて、技術的なことでわからないことが出てきたので、熊のような先輩の席に行き、

「すみません、ここのところなのですが、こうだと思うのですが、理解あってますか?」

みたいなことを聞いた。

「ぁ?あぁ・・たぶんそうだと思うけど、悪いけど忙しいから課長あたりにでも聞いてくれる?」

「・・はい、わかりました。ありがとうございました!」


・・・ん?
話がちがうし、こわい、怖すぎた。


何が怖いって、新人に教えてくれないということもそうだが、上司を上司と思ってなさそうなところが怖かった。

というか、のちに、完全に上司と思ってないことが分かった。ちなみに私もそういう節があり、少なからずこの先輩の影響を受けている。

それ以来、この熊のような先輩に仕事のことで自分から相談をすることは無かった。



■ケンカしに廊下に出て行った話■

これも私が新人ぐらいの頃、別の軽い感じの先輩が、熊のような先輩

「○○のことに関して教えてくださいよ~

って、わたしの目の前で軽いノリで質問していた。

やばい、絶対やばいやつだし、この先輩何を考えているのか。

わたしは何故か仕事に集中できなかった。


耳を澄まし(というか二人とも声でかいので普通に聞こえるのだが)、続く会話を聞いていると、

熊先輩「お前、少しは自分でしらべたんだろうな?」

軽先輩「いいじゃないですか、このくらい教えてくれても」

(・・・ありえない。何故か私がどきどきしていた。)

熊先輩「こっちは忙しいんだよ、教える暇ないから」

軽先輩「そんな言い方しなくてもいいじゃないですか!」

熊先輩「ぁあ?なんだお前、やんのか?

軽先輩「えぇ、いいですよ?ここじゃなんですから、外でましょうよ

熊先輩「おぉ、こいや

そういって二人は事務所から出て行った。


・・・ここは居酒屋?


後で分かったが、軽先輩もかなりパワフルな人で、少林寺拳法をやっているらしい。。その後、二人が怪我をしている姿は見ていないので、多分だけど、話し合いで落ち着いたと思う。


■夜遅くに雑談した時の話■

熊さん(もうこう呼んじゃう)は、元々宇宙研出身で帰国子女という、とんでもなく優秀なエリート技術者であり、上司にあたるそこらへんの管理職はもちろんのこと、プロジェクトマネージャーにも技術的またはプロジェクト管理的、ともすれば怒鳴りつけてマインド的にもアドバイスをするような人だ。

そういう人だから、彼から見たら私のようなアリともハエとも知れないひよっこの相手をする暇など到底ないはずだということを、後々実感してきたし、実際業務中に話すことはなかった。


ところがそんなある日、当時は当たり前だった深夜残業中、夜中の12時も回ると、席が近かったのでたま~に話しかけられることがあり、雑談することがままあった。

私にとっては入社面接より緊張したが、どんなことかというと、


「昔の俺はフミヤと呼ばれていた」


と言って昔の写真を僭越ながら拝見させていただいたり、


「う~ん、いまこの職場で使えるやつはこいつとこいつだな。何故かというと、こいつらはみんな危険予知ができる。今ここがこうなったらあとでここが火を噴く、といったことが見えている」

といった個人的な社内人事評価であったり。


熊さんの人を見る目は本物で、今思うとすべて当たっていると自分の経験上からも言える。


ほかに思い出すのは、私が4年目のころの深夜雑談にて、

「お前そろそろ4年目か?まぁがんばれ。ちょうど4年目ぐらいが、調子にのってダメになっていくやつがいるもんだ。」

と激励(?)されたこともあった。


この頃は、確かにほぼ一人でロケット打ち上げ作業の対応で出張に行かされており、「結局みんな逃げ出してるじゃないか」と少し鼻が伸びていたかもしれない。

熊さんはそういうところも見逃さず、わたしが間違った方向に行かないよう指摘してくれた。



■最初で最後、一度だけほめられた時の話■

ある海外衛星の作業で、設計審査のために英語で客先報告用のスライドを作り、報告することがあった。

英語が喋れない私は、スライドにキーワードをちりばめ、ある程度スライドを見れば喋れるように準備し、審査会で説明をした。


ほぼそのプロジェクトを裏でリードしていた熊さんもその場におり、私の報告が終わった直後、

「ぁんだよ、お前の発表が一番いいじゃん」

と、なんとほめてもらった。


前にも何人か持ち分の説明をしていたが、みんな場数を踏んでいるだけに、ただ必要な報告内容を読み上げるだけだったのに対し、私は英語がしゃべれないので、自分の中でストーリー立てて自分でもわかるような流れを意識してプレゼンをした。

聞き手は客先であり、技術的な専門家ではない。

そういった聞き手でもわかるような説明をできたのだろう。


この時は本当にうれしかった。


今思えば、専門知識も高く大ベテランで、プロ中のプロと普段やりあってるはずなのに、いかに初めて聞く人にわかりやすく伝えることが大事か、ということに重きを置いている熊さんは、やっぱりすごいと思う。

ちなみにその審査会、プレゼンはできたが、英語がしゃべれないので質疑応答は散々だった。



■現場から戻ったら弁当が置いてあった時の話■

衛星開発のフェーズによっては、現場作業が多い時期がある。

当時、衛星試験のために現場と事務所を行き来しており、状況によっては昼休み時間に昼休みをとれないこともしばしばあった。


ある日、昼休み時間が終わってから事務所に戻ると、毎日会社で頼んでいた弁当が自分の机の上に置かれていた。

昼休みになると、みんな廊下に並べられた自分の分の弁当をとりにいくのだが、その時は誰かが置いてくれたのだろう、くらいにしか思わなかった。


すると近くにいた熊さんに、

「お前、その弁当あいつが持ってきてくれてたぞ。お礼言ったか?

と言われ、はっとした。


すぐに持ってきてくれた会社の同僚の席に行き、

「弁当ありがとね」

とお礼をいった。



■お土産にお酒を買っていったときの話■

この状況下、ここ2年ほど帰れていないが、帰省で田舎に帰ったときには、職場の人たちにお土産としてちょっとしたお菓子なんかを買ってきたりしていた。


その頃には、熊さんのことは絶対的に尊敬しており、ある時、感謝の意を伝えるため、はちみつではなく芋焼酎をお土産に買ってもどり、恐る恐る渡そうとした。

ちなみに熊さんがお酒を飲むことは知っていた。


「悪いけど、そういうのは受け取らないんだ」

その時は少し寂しい思いをしたが、後で考えると、仕事は仕事で人間関係も割り切ってるのかな?と思い、きちんとしてる人なんだなぁ、と思った。



他にも自慢したい先輩がいるのだが

熊さんは、今でも会社の経営に直結するような仕事っぷりなので、滅多に話すこともなく、数少ないエピソードではあったが、述べさせていただいた。

どれも自分にとっては濃く、わたしの社会人としての人格形成に大きく影響していると思っているし、なんだかんだで、熊さんはいつでも私のことを見てくれている。(と思っている)

本当に出会えてよかったと思える大先輩である。


他にももう一人、人間味がある”のれん”のような先輩の話も書こうと思ったが、少し長くなったので、これはまたにしようと思う。


みなさんも、少なからず良い影響を受けたと思える人のことを思い出してみると、面白いかもしれない。


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