日本のソウルにバックビートは無いのか

日本の音楽は、洋楽の基本の裏拍に重心が無いからダメ…というバックビート論争なるものがあるが、この曲を聴いていてふと思った。確かに重心ポイントが表拍にある感じはするが、裏拍もしっかり感じ取れる。ダンスもドラムもしっかり裏拍に重心が落ちている。裏拍に重心が無いのではなく、表拍が強いのが日本の音楽で、ダメというより特徴とすれば良いのではないか。一拍目のバスドラを歯切れ良く早目(というかジャスト)にし、キーボードが表拍すぎなクラシック感を修正すれば、とても洋楽的になりそうだけど、それは洋楽風にするだけで、日本っぽさは無くなる気もする。古いブルースをそれっぽくするには、泥臭い裏拍意識で良いのだろうが、演歌のコブシの上手な外人歌手のフレーズは、日本風だけどみんなどう感じるのだろうか。宇多田ヒカルさんの15才ぐらいの音源を聞いてみると、完全に洋楽なんだけど、ボーカル感には邦楽を感じて新鮮だった。私的には、子供の頃ノリを感じて口ずさんでいたのはアニメソングだった。基本裏拍に重心があったが、歌詞のポイントは表拍、出だしとかにあるので、バックビート論争なるものが良く分からなかった。中学からは、洋楽好きだったので、手拍子も身体の重心も裏拍が基本で育った。けど、コテコテの古い洋楽は、あえて裏拍を強調させるのがそれっぽいとは思っていて、テクニックとしてそう弾いていた。自然ではなかったと思うけど、洋楽のノリと日本語のニュアンスが入り乱れて素敵なこの国の音楽が生まれているのではないかと、今は思う。ちなみに、レコーディングでは、裏拍が軽めであるのはご愛嬌。 https://youtu.be/VHYrImdrPCg?si=QIYm2oFAID2QuXUC

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