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散りゆく運命(さだめ)と知っても、ひたむきに咲く花のように

新しく開店する飲食店は2年でその50%が潰れ、10年後の生存率は開店数の僅か2%というデータがあるようで、それは100店舗開店して2店舗しか残らないという事なんだけど海亀の生存率みたいな話だなとか思う訳で。

なんだかんだと我が六角橋焼き小籠包も開店10周年を迎えた訳だが、開店当初はマジでヤバいくらい暇で、今では考えられないくらい真摯に販売促進に打ち込んだのだがなかなか結果が出ず、割引チラシ作ったりして従業員に店任せて炎天下の8月に2時間ポスティングに行って、「留守の間お客さん何人来た?」って聞いたら二時間で来客0人だった時は流石の俺も凹んだよね。

できる事はなんでもやろうと思ってSNSで宣伝したり新聞折込入れたり数少ないお客さんにおべっか使ったり、できる事はなんでもやろうと毎日12時間営業し年に5回くらいしか休まず、明るい明日を夢見て頑張ったんだけど、それでも全然お客さんは来なくて貯金がどんどん減っていったよね。
俺は相当前向きな生き物なんだけど、それでも「この店、絶対潰れる」と思って、どうせ赤字だし潰れるから確定申告とか適当でいいやと思って自己流でやってたし、どうせ潰れるから掃除とか整理整頓とかも疎かになって、実はそれは今に至るまで尾を引いていて、去年から税理士の先生にお願いするようになったんだけど、「よくこれ今まで税務署受け取ってくれてましたね」って怒られたし、店もどんどん汚れてボロボロになっていったよね。

ただ、俺は再就職すればいいから店が潰れても別によかったんだけど、隣には一緒に前の仕事辞めて、この無謀な独立開業に付き合ってくれている従業員がいた訳さ。
諦めるのは潰れた後でもできるから、コツコツできる事をやっていこうと、少しでもお客さんを増やそうとアイデアを振り絞って、幸い工夫したり根気強くやる事には長けていた様で、スベっても挑戦し続けた数々の企画の中で「焼き小籠包食べ放題大会」ってのが当たったのが3年目くらいで、学生のお友達も増えて普段も来てくれるようになって、その頃営業の電話でホームページ作らないかって言われて、最後の手持ち財産だったロレックスを50万円で売って、それを種銭にして作ったタピオカ通販のサイトもコツコツ売れてきて、サイトの売り方も客層に合わせて文化祭用に変えていって、店では食べ放題きっかけに来てくれた萩原さんが豚星の大塚さんとか永井Tとか紹介してくれて、あのハゲ親父には本当に感謝しなきゃならないと思ってる

4年目くらいからちょっとずつお客さん増えていって、豚星の大塚さんと話してて閃いて「俺もラーメンやろう」と思ってとりあえずスープ作ってみたらなかなか旨くて、昔から見てる人は知ってると思うけどそれが「小籠包の中身」ってやつ。懐かしいね
最初はつけ麺(今もあるやつ)始めたんだけど、当時はとにかく暇だったから背脂にカレー練り込んで溶かしたカレーつけ麺とか、次は味噌だなと思って試作してる時にドバッと砂糖が入っちゃって、失敗したかと思ったら味がバッチリ決まって、それが今でも使ってる味噌だれ。
永井Tが混ぜそばもやったらどうですか?って言うから「この人めちゃくちゃ言うな」と思いつつ、とにかく暇だったから試作重ねて完成したのが今の混ぜそば。一種類だとつまんないからカレー混ぜそばも作ったんだけど、「六角橋から誰も出る人いないから」って理由でカレー混ぜそばで横浜の商店街の麺類コンテストに出る事になって、みんな投票ハガキたくさん書いてくれて見事銅賞に選ばれたよね。あれは完全に組織票です

その頃ももクロにハマって、モノノフのお客さんがたくさん来てくれて、仲良くなった子達とライブ行ったりして、その中の堀田氏は今でも定期的に来てくれるし、先週5年ぶりくらいに「奨学金で物販買いまくる物販王」こと向井くんも来てくれて、昔を懐かしんだりもして。 

ブログを書き始めたら向かいの珈琲文明さんに「毎日書かなきゃダメだよ」と言われ、ブログのネタ探しに東奔西走する日々が始まったのだが、美味しいパン屋があると聞き、「ブログのネタにしなければ」と向かったのがル・ミトロンで、オーナーの大場さんとはその時会話を交わし、その後小籠包食べに来てくれたりして交流が生まれたのだが、紆余曲折の末何故か今は俺もル・ミトロンを経営しているという超展開に発展していたりして。

書き続けていたブログのネタで婚活始めたんだけど、それで出会った人が北海の魔獣あざらしさんスタンプ使ってて、凄く素敵な人だったけどその人とは上手くいかなかったんだけど、違う方面で色々な出会いが広がっていって、世の中何がどう転ぶかわからないものである。ちなみにあざらしさんファンの事を「まじゅらー」って最初に言い出したのは俺だから覚えておけ

ちょっとずつお客さんが増えて、お友達も増えて、完全に黒字化したのが5年目くらいかな
7年目にはゴンチャが流行り出してタピオカ通販がプチブレイクしたんだけど、翌年はその数倍の第二波が来て、4月には速攻在庫が枯渇したのに俺はとにかく諦めが悪いからネットを駆使して在庫持ってる会社を探し出して、6月にはアマゾン上で俺しかタピオカ売ってない状況になって入れ食いだったよね。その際はご馳走様でした
売り上げが瞬間最大風速とはいえ跳ね上がり過ぎて、このままで行くと何百万も納税しなきゃいけないと節税の為だけに作ったのがいっ歩株式会社で、タピオカバブルが終わったら潰してもいいかなと思ってたんだけど、せっかく作ったからあぶく銭でなんかしようと偶然見つけたのがル・ミトロンのフランチャイズで、11月に説明会行って大場さんとまさかの再会を果たして、5ヶ月後の4月にはもうパン屋オープンしてたよね。
パン屋建てるのに2000万くらい使ってあぶく銭使い果たしたんだけど、コロナ禍の中隣の店が空いたから、大家さんが「店大きくすれば」って言うから、「パン屋始める前に言ってくれよ」と思いつつ、千載一遇のチャンスだし、手入れしてこなかったツケが回ってきて店がボロボロだから、「大丈夫、できる」って深呼吸してから店の建て替え決めて、2ヶ月間店閉めて先月再オープンしたから、結局、10周年って言っても1年目みたいなもんだし、パン屋と六角橋の建て替えで借金1700万くらいしちゃったからまた一からコツコツ稼がなきゃいけないんだけど、開店した頃と違って俺には沢山のお友達とお客さんがついてるし、相変わらず俺に文句言いながら一緒にやってくれる従業員もいるから無敵だし、この先の俺たちには希望が満ち溢れている訳で。

そんなこんなで、あの頃必死で頑張っても売れなかった俺には「ひたむきに頑張ってよかったな」と労いの言葉を今やっと掛けてあげられるし、これからも頑張らないといけない訳で。


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