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自分ができる会話のネタをどれだけ持ってる?って話

僕が23歳の時、人と会ったり会話することがすごく嫌になった時期があった

仕事が終わればすぐさま家に戻り趣味のギターやDTMをする、この繰り返しをひたすらしていた

当時、人と会うことが嫌になった理由は

昔、組んでいたバンドメンバーの2人が音信普通になりバンドが解散してしまったことが原因だった

僕にも否があったことは今でも認めるがさすがにいきなりそれは無いだろうと今でも感じる(現在そのメンバーとは和解済み)

きっとこの人たちも裏切るのだろう、人間とはそんなものだ

そんな考えが凝り固まり次第に人と会話するとしても冷めた目でしか見れなくなっていた

ある日、とある飲みの席に行った時のこと

大勢、人がいる中で僕は何も口を開くことなくスマホを眺めているだけだった。会話をしたく無いというわけではなかった

バンドマンでも無くなり、DTMをしているけれどもまだ人前に作品を見せれるほどでもなかった僕は音楽人としての自信も無くなり、話のネタなどなかったのだ

あるとしたら過去の想い出話くらいだった

ただ人の話をテキトーに聞くか、スマホをいじることしかできなかった

それと同時に飲みの席が終わった後、帰りの電車の中ですごく劣等感を感じたことを今でも覚えている

今の自分には自信を持って人に話せることが何も無い

素直にそう感じてしまった瞬間だった

飲みの席での僕の様子を見ていた、今でも恩師と感じているNさんに後日こう言われた

今のお前は何でもいいから片っ端から興味のあることを狂ったようにやってみろ。それが3日坊主で終わるならそれまでだ、1ヶ月、1年、3年、5年、何か一つでも続けらてたら。それが武器になる。過去の肩書きや栄光は捨てろ

家に帰って落ち着いてから言われたことを振り返ってみてバンドマンとしての僕をこの世から消した

次の日から狂ったようにギターを弾き、曲を作り、打ち込み、MIXをした

赤字になるくらいに機材投資もしていた

DTM初心者なりにも1ヶ月に1曲、今できる技術で手応えのある曲を作り動画サイトに投稿していた

そして1年、2年、3年、4年となり今に至る

4年も経ってみると実体験の中から生まれた独自のノウハウのようなものが生まれる

本やネット、誰かから聞いた情報とかではなく自分自身が壁をぶち壊すために実際に行った打開策や考え方、手法などが身についていた

そしてこの3年間の中で同時にDTM以外にブログもやっていた

ブログサイトでは当初は自分が学んできたことをまとめるためのノートとして使っていたが次第に人が見てくれるようになり

もっと教えて欲しい!という声もくるようになっていた、そうなってみて気づいたことある

誰のためにもやってきたわけではなく自分のために継続してきたことが気がついたら人から求められるようになっていた

ということを

しかしそれも勝手に求められるようになったわけでは無い

ここで大事なことは曲という形を主に作っていたが同時にブログサイトという一つの情報の資産であり発信源を作っていたということ

勝手に自分という存在を半自動的に世に広めてくれるツールになっていたということです

そしてあの飲みの席で全く会話をしなくなった時から4年経ってみて僕が運営しているサークルのオフ会に行ってみた結果

ネタが何も無いという状態からネタがいくらでもあるという状態に変わっていた

人と会って会話をする時、どれくらいの会話をネタを持てているか

それは単に馬鹿な話をするだけでは無い、相手に喜んでもらってお互いの時間をwin-winとし、有意義な時間を構築できるか

それこそが本当の人対人のあるべき会話の形だと僕は考える

人から聞いた話やネットの情報ではなく自分の実体験を元に編み出したノウハウや経験こそが真実性の高い情報でありネタになる

どちらか一方ではなくネタを交換し合えるのかこそ大事なコミュニケーションだ

これを読んでくれた人で今現在、会話のネタがもしなければ一つ、二つ、三つと日常の中から手にしていき、忘れそうならば何かに記録し、それを積み重ね、「何も無い」からぜひ脱却して欲しいと感じる

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