形骸化

noteを書くとき、単語が思いついて文章になっていくことが多い。
今日の話も、そうやって作られた話。


ふと思ったこと。
形骸化って嫌だな。
なんか、いろいろと嫌だ。
まず、字面からして良い気分にはならないよね。
形が骸(むくろ)と化した、だよ。
誰しもいつかは骸になる訳だけど、儚いよね。
その儚さが美しいのだけれど。
そう思うと、死にたくはないな。
言い換えたら死にたいだけど、あんま死にたいって言い方は使ってないな。消えたいって言ってる。だって、自分の死を誰かが悲しんだりするの嫌だもん(ないとは思うけどね)
これ以上、自分のせいで誰かに悲しい思いや嫌な思いをさせるのは嫌だな。
だから、消えたい。死ぬのではなく。
なんか話が逸れてきたからそっち方面の話もしてみようかな。


理想
理想の最期ってどんな感じかな…
誰かを救って死にたい、ってのはあるかも。
でも、それで残された人はやっぱり引け目を感じてしまうよね……
うん。消えたい。これだな。
自分の存在が無かったことになってほしい。
仲良くしてくれた人には(あなたとか)申し訳ないけど、あなたにはもっと良い人がいるよ。だって、自分が憧れるような人といるんだもん、あなたたち。ずっと…今でも憧れてるよ。
それだけ仲の良い友達なんていなかったからさ笑
消えてしまえば、いろんな人にかけた迷惑も無かったことになるかな。
結果としていろんな人に嫌な思いをさせてしまった訳だし、消えたいな。
そしたらみんな少しでも幸せになれるのに。
理想の人間像は浮かばないのに、こういうことは思いついちゃうんだよね。
そんなに死に急ぎたいのかな…迷惑かけるのが嫌なら、一切の関係を絶ってしまえば良いのに。
…できないよね。でも、もう友達との関係も消えていくのかな……最近特にそう思う。
(人として)大好きな友達も、結局は他人なんだね、ってこと。受け入れたくないことだけどね。
まあ自分のせいだし仕方ないか。
自責の念に苛まれる今日この頃。


閑話休題
寄り道が長くなってしまった。
そうだ、骸の話だ。
急に骸龍オストガロアが脳裏に浮かんだけど放置。まだXXやってないんだよ!

部活に残っているルールって殆どが形骸化したものだと思う。中学では特にそうだったかも。
なんの意味があるのかも分からずに、ただルールだから従う。今思えばこれが形骸化なんだね。

さっきもちょっと書いたけど、人間関係も形骸化していく気がする。友達でいようね、とか言っておきながらまともに相手をしないとか、半ば本能的に避けたりとか……それって、友達という関係が形骸化してるよね。どういう関係?って聞かれたら友達って答えるけど、別にそう表現するだけであって、本当はただの知り合いとしか思ってないとか。合ってるんじゃない?笑
この問いをしたい人がたくさんいるな。

形だけ残ったものなんて求めてない。
確かに、中身を食べてしまっても、お菓子の入っていた綺麗な箱は綺麗な箱だよ。でも、それは「綺麗」という理由で残した「形」に過ぎない。
本来その箱がもっていた価値–中身の保護だったり、人の目を引くためだったり–は、もうそこには残っていない。
ただ「お菓子の箱」という形だけがそこに存在し、本来の意義はなくなっている。
人間関係も一緒。
「友達」という形式的なものが存すればそれで良い、なんてことじゃない。
そんないつ消えるか分からない不安定な関係なのであれば、なくて良い。いや、ない方が良い。
変に傷つくこともなくなるし。






どんなことも、いつかは形骸化して風化していくんだろうな……
世界はなんて薄情なんだろう。