モナドロジーを読む”1~10”

序文

 不定期に、気ままに、モナドロジーを読んでいる際の私の解釈を書いていきます。細部間違っていても悪しからず。
 モナド論の雰囲気を感じましょう。

ほんへ

 モナド論の根幹を成す節となる。初見者にしてもモナドについてうっすらとイメージを持っていると思う。それを明文化したものだ。加えると、ここで言われる「実体」とはスピノザ的な実体であり、端的に言えば「存在原因から全て自己完結した存在」であり、一つとして同質の物はない。
 つまり、「モナド」とはこの「実体」を表す単語というわけだ。

 モナドが物質(複合体)を分解した終着である単一体ということ。言い換えれば、この世の全てのモノはモナドで構成されていることを言っている。

 2節に加える言葉である。モナドの基本性質である「広がりを持たないこと」による不可分性、デモクリトスの言うところの「アトム」であることを述べた。

4・5

 形状を持たないモナドの不可分性によるモナドの増減の否定を述べた。6節に言うモナドの生成・消滅について触れている。

 モナドの生成・消滅については神による創造・破滅によってのみおこることを述べた。これはカトリック教会の教説に基づき、『形而上学序説』にも同様の記述がみられる。
 また、複合体の生成・消滅の漸進性についてはライプニッツが現実に流動性を見ていたことが伺われる。

 有名な一説「モナドに窓は無い」を表す節である。単一の実体であるモナドは内的な変化が存在しないために外部からの変化を受けないとしている。

 モナドの特有性に関する記述。繰り返すが、モナドには大きさ(広がり)が無い。よってモナド同士を区別するのはモナドそのものの特徴によることになる。ここで、モナドに同質のものがあっては変化を観測することができない。よってモナドはそれぞれが特有の性質を持っている。

 と、説明は簡単だが、私としては「一つ二つ同じモナドがあっても他が違えばいいだろう」と思わざるを得ず、同意する者もいるだろう。一つ私の推測として、先に述べたようにライプニッツは現実は絶えず変化を続けるものだと認識している。これによってライプニッツにとってはただの少しも変化の無い部分はあってはならないのではないか。

 8節に加える言葉。

10

 現実の不断の変化はモナドも含まれることを述べた。
 先の話になるが、外部からの影響を受けないモナドは神によって引き起こされており、これはモナドが創造された時点ですべて完結している。つまり、「予定調和」である。
 世界はモナドによって構成されていることは2節で述べられている。このことから、現実の変化はモナドの変化によって起きるものであるとわかり、それによって神の意志(予定調和)が現実に作用するのだ。

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