闘う者たちへ愛を込めて
逃げられない大喜利というのがある。
私の父親はソッチ系の人である。コッチ(頬を切る仕草)系ではない。飲食店などでカマす方の、そっちの、ソッチ系である。その子である私は小さな頃から幾度となくその場面に出くわし、ピークの脈拍で味のない飯を食べたり、周囲から突き刺さるつめたい視線の中で味のない飯を食べたりしてきた。感覚としては辟易を通過して、ある種の宿命としてそれと付き合い、こなしてきた。
誰が見ても自分と隣の人に確実に血縁関係が確認できる状況で「今できる精一杯」の善処として行う他人のフリは、さながら油風呂だ。
ある程度大きくなってからは、僕も父親がカマしそうな空気をいち早く嗅ぎ分けて火消しの要領で先手を打つような身のこなしを自然と身につけた。
不断の努力が実を結び、彼自身の老もあって近年はその手の動きが見られなくなっていた。
ところが
それは先日起こった。
父親と中華チェーンに行った。
週末という事や、ソーシャルディスタンス確保のための座席の減少、ご時世のテイクアウトの増加で店は混雑していた。名前を書くやつの2組目に記入し店内の椅子に座り順番を待つ。2組ならもうすぐだ。
しかしなかなか客がハケない。
時代もあって店もイレギュラーな業務を限られた人数でこなさなければならない。てんやわんや気味なのは僕の目にも伝わってくる。次々に出来上がるテイクアウトの商品と会計を少ないホールスタッフが捌く。
捌く
捌ききれていない。
いやなにおいがする。
そこに1組の夫婦が入店してきた。
店員:「何名様ですか?」
夫 :✌️
店員:「奥のお席どうぞ〜」
僕 :(あっ)
眼球を動かすまでもなく
隣の生命体から放たれるつよいつよい何かを肌が感じとる。
感じとった時には遅かった。
油断していた、
カマした
普段から父とは距離を置いていたが、唯一彼の相手をしてくれていた母が亡くなったこともあり生意気にも家族サービスの感覚で来た今日の外食。そしてこの状況。
久しぶりに前線に放り出された気分だ。
下手に止めれば助長する、止めなければ共犯。
久しぶりのこの感じ。とっ散らかったシンクで皿洗いを始めるような心持ち。
「、、、どっから手つけよう……」
彼の後ろから、彼の死角から店員さんにごめんなさいビームをありったけ注ぐ。店員さんもわかってくれた目をくれる。ひとまず、ひとまずだ。
席につく。
席につくなり
再度カマした
まさかの二度づけ。二度目の油風呂。いやもうそれは二度揚げなのよ。めっちゃ火通っちゃうのよ。
聞いていない。このルートは初めてだ。
老いによってすこしは丸くなったかと思っていたが甘かった。むしろそのエイジングはアレに拍車をかけ、彼をいよいよアレたらしめようとしていたのだ。
平謝りする店員さん。
近くの席の大学生たちは、飲食経験者らしく、その手の、いわゆるカマす方の、えーい!もういいや!!クレーマー!老害! の経験談を聞えよがしに飛ばしてくる。
本当の地獄はここからだ。
飯を食わなきゃいけない。
異常な脈拍と震える体で、飯を。
メニューを開く。
お題
「カマした老害の息子、何を頼んだ?」
難しさを選ぶドン! 鵺!
孤独な激ムズ大喜利の開幕。
真っ白の頭でメニューを行ったり来たりする。
レバニラ
大好きなレバニラはこんな気分で食えたもんじゃない。レバニラに失礼だ。
となるとなんだ、無難にいくか
ラーメン
いや、クレーマーの息子がゾバゾバ音を立てて麺をすする姿を見せることはできない。
人間がラーメンを食う時の、あの顔面とラーメン鉢が対峙して2点だけの空間で一生懸命麺を
摂取してる姿は、自慰行為ぐらい恥ずかしいものだといつも思っている。それを今僕は公衆の面前で行うことを許されるヒューマンステージにない。
てか最近やっと運動もしだして食事にも気を遣いだしたのに、こんな理由でグルテンはすすれない。こうなるといよいよ正義とは何かみたいな話になってくる。ちがうちがう、落ち着け。
天津飯
クレーマーの息子が、フワフワ卵に餡をかけるなんて世間様が許さない
天津麺
天津麺て。どこでウィット効かすねん
回答に時間をかければかけるほど難易度は上がる。大喜利はそういうものだ。僕は知ってる。
食べない
ハンガーストライキとして父親への声無き抵抗を示す。ぱっと見最善策だ。これはいい。いや、違う。ここまでの思いをして飯を食わないのもおかしい。「お前が食わないなら行く意味がなかった」的な事を言われかねない。まずこの手の人はプライドが大事だ。逆撫でしないように、メンツを最低限守って、優しく家まで持って帰らなければならない。そうなると食べないは選択肢として最善とは言いかねる。
ビール
これは父親との差別化を図って大喜利に走ったと見透かされる。それにしてはビールは絶妙にスベっている。共倒れ爆死案件だ。
五目…
多様な食感味覚を楽しむ自由は許されない
激ムズ大喜利
おさまらない鼓動
震え続ける体
ふと目をやると父親は食事終盤だ。
いやなんでお前が飯食えるねん。
もう誰も見てないだろう…
さっきからシャトルラン状態のメニュー冊子をもう一度見る。
いくつかのメニューには写真の下に名称と、さらにその下に注釈がある。
「あっさりした魚介ベースの…」
これだ!
クレーマーの子息は粛々と、彼の罪、業すら共に背負って生きなければならない。「あっさり」はその生き方を示すのには適切さのある副詞だ。これに決まりだ!
「すいません、五目そばください」
この回答が正解だったのか。
今となっては確かめる術もない。
結局五目かい
そう思う人もいるだろう。
しかし悩み抜いた末の五目そばなのだ。
傷だらけで掴んだ五目そばなのだ。
この世界中に、あるいは近くに、僕と同じような境遇をサバイブし、日夜激ムズ大喜利に駆り出されている人がいるはずだ。また、僕の親父のような客にいやな思いをさせられる人がたくさんいる。僕もバイト店員としてのその経験もある。
そして「老害」というつめたい言葉でひとまとめに、社会から隔絶されていく彼らにもそうならざるを得ない環境や心理状況がある。あるいはなんらかの疾患に起因するものなのかもしれない。骨を折って寄りそう必要はないが彼らの悲哀にも理解を示さなければならないと思う。
あなたの戦いは無駄ではない。
きっと見ている人がいる。
頑張ろうな
闘う者たちへ愛を込めて
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