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「快楽は痛みを水で薄めたようなもの」やろ。ほな原液や。貧乏カルピス飲めるかい。なめんな。いったれボケ 

オードリーのオールナイトニッポンの、作家の西加奈子さんがゲストの回が好きで、たまにYouTubeで聴きかえす。2015年。若林正恭と西加奈子の会話。2022年のふたりが同じように話をしても、たぶんもうこの感じにはならないとおもう。若林さんはこの時間ずっと「西さん!西さんが好きだ!」「西さんもっと教えてよ!」と発信している。西さんはそのスキンシップをすっと通して淡々と話をする。両者が別の型で発話をしていて会話になっていない。この回がほんとうにあたたかく、好きだ。今でこそ聞き手としての手腕を評価されている若林さんだが、当時は本当にむきだしで無粋な話し手だった。そしてこの回で西さんは「若林くん童貞やんな」という話をする。あらゆることに触れる際の新鮮な反応。そして感触に困惑し、狼狽しブチギレる様子。若林さんのそれに触れて彼女は字義通り、そしてメタファーとしての童貞と彼を称した。

僕は以前ここでも話したが、友人に対話してもらったことで、会話の姿勢、事象から適宜間隔を保つこと、おもいあがらず丁寧に出来事や人に向き合うことを少しずつ学んだ。そしてコミュニケーション方法を実践したり、友人の文章をして「あれは前提に読み手の厚意があって、かつそれを無自覚のうちに強要している下劣な表現だ」と意気揚々喝破したりした。気づきの提唱が徐々に攻撃に変わる頃、ようやくそれを自覚した僕のひとりが言う。いや自分どやねん。それお前の文章と何が違うねん。ほんまの会話ってなんやろかみたいな真摯さの押し売りはそれこそ無粋で、直接的な対話のノイズなんちゃうんかい。と。恥ずかしい。いや23にもなって恥の話をしている。勘弁してほしい。おいおいおい、ことあるごとにサブカルを殴るお前の所作、見れば見るほどその権化やんけ。頼むわまじで。
文字の読み書きは小学校低学年でできるらしい。鍛錬をしたいと吠える僕が出た大学という施設は鍛錬の場だったらしい。今日初めてギターを触って「ギター楽しい!」と思ってワクワクしたが、これは高校生で済ませておくことらしい。
いやぁそんなさぁ、いやわかるけどさぁ。健常者のみなさんそんな露骨に知恵遅れ扱うみたいなさぁ。言わないでよ。学芸会は全員白雪姫で、徒競走は手繋いでゴールじゃんか。
ひとつひとつ知っていきたいのよ
そんな顔しないでさぁ、、

我々の答えがおおかた死に帰結する時点で、生命維持と生活の継続がなされている現状自体が反則なのだから、ならば日常の基準は善悪ではなく痛みと快楽にある。

「快楽は痛みを水で薄めたようなもの」やろ。ほな原液や。貧乏カルピス飲めるかい。なめんな。いったれボケ 

まだまだ知りたいし、精一杯勉強したい。
笑ってしまうようなどぎつい痛みを。
2022年2月3日の僕の気持ちです。


おもいあがりから怒りで目を覚ました僕があの時と寸分違わぬ背格好の童貞に戻る時、2015年のラジオは僕に話しかけてくれる。

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