原爆の父
胸糞の悪い映画であった。広島市出身ではないが、なんともつらい映画であった。
オッペンハイマーを悪者仕立てして懺悔なのだろうか?
できれば広島長崎に落として高揚した米国の姿で終わるエンディングの方が筋がいい。学者の真理探究への欲望が成した結果を否定して、その後の彼の成された仕打ちを描いて何を言いたい?
作る人間とそれを使う人間を分断することで事の重大さを薄めようというのか?
歴史的にヒトラーが居なくなり、日本も瀕死であった時に、「絶対降伏などしないだろう」と明確な証左もなく投下へ突き進むのはどうなんだろうか?
誰のための映画なの?
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