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2. ナナメムカイに住む人

noteに文章を書くときの注意事項がありましたよね。

人を傷つけない文を書くこと。

どうだろう、今から書こうとしていることは誰かを傷つけることにならないだろうか。

実際に起きたことを書く時、当事者たちの個人情報をさらしてしまうことになるのだろうか。

そんなことを思いながら、文章を考えています。

書くことで、今の息苦しさから逃れたい。

自分勝手な理由ですが、眠りの浅い夜を終わりにしたい、ラクになりたいという願いから、迷いつつも書くことにします。



一ヶ月ほど前のことです。
同居する私の母が斜め向かいに住むご夫婦のところに、嫌がらせをやめて欲しいと伝えにいきたいと言いまして。(母、ご夫婦ともに70代です)

母はそのご夫婦の奥さんの方から、この10年ほど道で会うたびに怒鳴られ続けてきたのです…

心細いので一緒に来て欲しいと言われ、娘としての役目だと思い同行しました。

私はどこか楽観的に考えていました。嫌がらせには理由があるはず。

どうしてこんなことをするんですか?
こちらは怒鳴られて辛いです。
気持ちがすれ違ってしまったようですね。
きっと誤解があるのだと思います。

まず丁寧に話を聞き、こちらの気持ちを説明すれば、やめてくれるのではないか。
娘の私がオモテにでれば、私に免じてやめてくれるのではないか…と。

怒鳴られるようになった理由も、母が言うように、
友達になりたかったみたいなの、あちらは。でも私にはそんな気持ちがなくて。だからガッカリさせちゃったみたいなのよね。

私もきっとそんな感じだろうと思っていたのです。怒鳴る行為を過剰な反応とは感じていましたが…

しかし私の思っていたようなやり取りにはなりませんでした。

ご夫婦と話をすると、母に対する憎しみがとても大きく強いことがわかりました。数十枚の紙に母に対する思いを綴った日記があるそうで、毎日それを読み返して、憎しみを忘れないようにしてる、そんなことを言っていました。
そして絶え間なく母にも私にも怒鳴り続ける奥さんの様子に圧倒されました。

私には、そのご夫婦が母への嫌悪を生きる糧にしているようにも見えました。

そこにはご夫婦の今までの人生、毎日の暮らし、お二人の性格ももちろん関係していると思います。

母があまり人に気を使わないタイプで、言葉を丁寧に選ぶようなことをせず、思ったことをすぐ口にする人だということも大いに関係しているでしょう。

母がなんの気無しに挨拶したり、口にした言葉を、ご夫婦は嫌味、上から目線の言葉と受け取ってきたようです。そして母に言われた言葉とその時の気持ちを日記に記してきたようです。

はじめは友達になりたかった。そうかもしれません。それが実現しないとわかったときから始まってしまったことかもしれません。


結果から言うと、私が間に入って相手の話を聞き、こちらの気持ちを説明してもはっきりとした解決には至りませんでした。

2時間ほどチグハグらなやり取りをしたあと、最後に、
もう道で会ったときに怒鳴らないでいただければ、それだけで助かります。お時間とってくださってありがとうございました。これからもずっと近所同士ですから、ご挨拶ができる関係になれたら嬉しく思っております…

そんな挨拶をして帰宅しました。旦那さんがうなずいてくれていたのが、救いでした。


その日からおよそ一ヶ月たちました。

私の心は淀んだままです。母も同様のようです。

母はショックから引っ越ししたいと幾度となく口にしています。

あちらのご夫婦の憎しみが増大してしまった一つの原因は10年もの間そのままにしてしまったことがあると思います。

友達になりたいという気持ちに応えなかった、母はそのことに罪悪感があって、怒鳴られても反論せずに言われるままでいたのかもしれません。

私は母が嫌がらせをされているのを知っていながら、あちらに原因があることだろうと思っており、そのうち飽きてやらなくなるだろう。そもそも母がなんとかすべきこと、母が解決しようとしないのだから…私が動くことではないと真剣に考えずにいたのです。

よくない対応が重なって、結果、母と私の心に重くのしかかる出来事になってしまいました。



よくあるご近所トラブル、人間関係のトラブルといえるかもしれません。

言葉の受け取り方の違いからくる誤解。そう言ってしまえば茶飯事なのでしょう。

でも解決を先延ばしにして放置してしまったために、不満や不安が大きな憎しみにかわってしまったのです。

嫌なことがあった、早く忘れたい。顔を見ないで済むように引っ越ししてしまいたい。

簡単に気持ちを整理しようとするとこんな考えが浮かんでしまいます。


でも私は、今こそ自分についてもっと深く掘り下げて考えるべき時、と思い至りました。

つい相手のことをいつまでも考え、相手のせいにしてしまいがちです。
相手を批判する言葉が次から次へと浮かんできます。どうしてあんな人になってしまったのかしらね…なんて風に。

しかし他人のことは考えてもわかりません。

そんなことを考えていても実際に心はちっとも晴れないのです。

考えてわかるのは自分のことだけ。
自分の行動、自分の態度、言葉の選択に良くない点はなかったか。
こういう言動は外からはどんな風に見えるだろう。
自分にはどんな考え方の歪みがあるだろうか。どうしてそうなってしまったんだろう。

母は言っていました。私は裏表のない人間なのよ。そんな人のことを悪く受け取る人がいるなんて、思ってもなかったわ。

しかし自分が相手のことをわからないように、相手にはこちらのことがわからないのです。
自分が誤解されてしまうとすれば、誤解されるような言葉づかい、態度をとってしまったからなのです。

自分をどんな風に表現するか、どんな言葉で話すのか、それが他人から見た自分の姿になるのです。
裏表のない人間、それをわかってもらうには長い時間をかけて知ってもらう必要がありそうです。


母はもう高齢ですし、生き方を顧みるのは難しいかもしれません。私が注意を払ってこれからの母を見守っていこうと思います。

この出来事から私は自分自身を振り返り、より良い私になっていきたい。そんなふうに思っています。
noteをそのツールとして使っていきたい。それがnoteを始めようと思ったきっかけです。読む、書く、を自分の成長のために続けていきます。ここに宣言します。


ここのところ、斜め向かいのご夫婦に会うことがないのですが、次に会ったときは、私から笑顔で挨拶しよう。時間はかかってもきっと関係は改善できると信じて。

お互いが深く眠れる夜のために。





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