見出し画像

愛犬が死んだ。

ブルが死んだと連絡があった。
17歳のトイプードル。来月誕生日だから18歳に近い17歳。よく頑張ったね、ブル。
会いに行けなくてごめんね。本当は私の腕の中で最後を迎えて欲しかった。帰省で実家に帰ってブルと離れる度に「これが最後になるかもしれない」とぎゅって抱きしめて、また来るねって伝えては、別れが辛くてぼろぼろ泣いて、仕方ないから東京に帰って日常に復帰した。

ブルに最後に会ったのは、8月のお盆前。
冬に会えるって信じてた。苦しいなぁ。
もっと強く抱きしめてあげたらよかった。大好きなとうもろこしは茹でてあったものがあったからあげたけど、足がないことを理由にスーパーにササミを買いにいくことを怠った。大好きなささみを買いに行って茹でてあげればよかった。

ブルは2018年、12歳の8月に一度死にかけた。私は院試の準備のために実家に住んでいた。
母親と東京旅行に行った帰りの夜行バスに乗る前に父親から連絡があった。「ブルがおかしい」と。ご飯もお水も飲まなくなって、様子がおかしいんだと。

祈る気持ちで夜行バスに乗り込んだ。焦る気持ちとは裏腹に、10時間の乗車時間が倍くらいに感じた。家に着くとブルはぐったりしてたけど
しっかり生きていた。
病院に連れて行くと「僧帽弁閉鎖不全症」という心臓の病気であることがわかった。

ご飯を一切食べなくなり、4.5kgあった体重は一時2.2kgまで減った。骨と皮になったブルの側で毎日眠りについた。2時間おきに起きては寝息があるか、心臓が動いているか確かめた。毎日点滴をしに動物病院に行った。待合室でブルの痩せ細った姿を見て知らないおばさんが「よくなるといいね」って励ましてくれた瞬間、いろんな緊張の糸が切れて待合室で号泣した。ブルを失うことが考えられなかった。ご飯は注射器で強制的に押し込んだ。食べては吐いての繰り返しだったけど、少しでも栄養が吸収されたらそれでいいと思って続けた。2週間くらいそんな日々が続いたのかな。
毎日何かしら食べられるものがないかと模索していてその日はかぼちゃを蒸してみた。
半ば諦めの気持ちで口元にかぼちゃを近づけたらぱくっと食べた。びっくりした。
食べた瞬間、泣いた。

その時から少しずつ、本当に少しずつ食欲が戻っていった。かぼちゃの次に食べたのはブロッコリーだった。
食べられたものはその日の体重と一緒にカレンダーに書き記した。
病気が発覚して3週間くらい経った頃にはやっと自力で立てるようになった。ずっと寝たきりで、自分の力では立てなかったブルが台所でささみとブロッコリーを茹でてる時ごそごそと立ちあがろうとした。それで久しぶりに「ワン」と犬らしく吠えた。「食べたい」という意思表示だった。
それが嬉しくて、また泣いた。

それから少しずつ回復して、ハロウィンを迎える頃には体重は3.5kgくらいまで戻った。

そんなことが、5年くらい前にあって、だから正直ここまで長生きしてくれたこと、それだけでもありがとうの気持ちでいっぱいではあるし、近い将来この日は必ずやってくるから、突然ではあったけど、心の準備はある程度できていたと思う。

連絡をもらった瞬間も、不思議とすっと受け入れられた自分がいた。
もちろん寂しくて、申し訳なくて、今この瞬間も苦しいけど。

うちの家庭環境が複雑だったせいで、ブルには寂しい思いをたくさんさせてしまった。他の兄弟みたいにたくさんドッグランに行ったり、お友達も作ってあげられたらよかったのだけど。まだ小さかった私には何もできなくて、大人になってからそれを償いたいのと今からでも思い出を作ってあげたい、あなたはこんなに愛されてるって感じて欲しくて私なりの努力は尽くしたつもり。

うちに貰われて不幸だったかなとか。もっと普通の家庭環境のお家で伸び伸びと育ててあげたかったなとか思った時もあったけど、少なくともブルが私に出会って私の愛情を感じてくれたなら嬉しいな。

「ブルーノ」って名前は私がつけた。シンデレラに登場する犬で、継母に閉じ込められた部屋からシンデレラを助けてくれた犬。普段は臆病だけど、勇敢な犬。シンデレラのブルーノみたいに優しくて勇敢な子に育って欲しいという思いを込めた。

ブルは私が10歳の時に我が家にやってきた。中学に入ると辛いことも多くてよくお母さんに愚痴りながらは家で泣いていた。
そんな時ブルは駆け寄ってきて私の顔をぺろぺろ舐めてくれた。これはたぶん涙には塩分があるからなんだけど。

普段のお散歩以外であまり外に連れて行ってあげられなかったから社交性がなくて、たまに他のわんちゃんに会うと吠えたり、落ち着きなかったりもした。もっとお友達を作ってあげられたらよかったな。でもブルってちゃっかりした性格で、1人の時間を楽しんでる節もあったり、静かだなと思ったら台所にあったサツマイモを貪り食ってたり、全部可愛くて愛おしかったな。

ブルは最後の瞬間何を思ったかな。幸せな思い出だけ残っていたらいいな。
平日に私が知らせを聞いたら辛くなると思って、落ち込む時間をくれたのかな。8月帰った時は私だけじゃなくて兄、姉にも抱っこしてもらえて、嬉しかったね。これから厳しい冬に向かう青森でその小さな体を持ち堪えるのはきっと大変だったよね。まだ暖かい季節に橋を渡れたのなら、よかったのかもしれない。

人間の家族にも出せない感情を出せるのがブルだったし、こんなに愛おしい存在を守る役割と計り知れないほどの幸せをくれたブルに、心からのありがとうを伝えたいです。

辛いけど、この気持ちさえも時間が経つと鮮明に文字に残すことが難しくなるから、頑張って書いてみたよ。

これからの私を見守っててね、ブル。

21年11月 一緒に生協のチラシを見るブル
21年12月 ソファで一緒にくつろぐブル
22年1月 テーブル下で寝そうなブル
22年5月 家の庭で何かが気になるブル
23年5月 最後にちゃんと撮ったブルとのツーショット



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?