2つの球

あやうくキンタマがつぶれるところだった。

自転車のチェーンが外れて、キンタマを強打したのだ。

ジムに行く途中、車が止まって道を譲ってくれた。やさしい世界に感謝して、お辞儀をしながら自転車を発進させる。その時だ。チェーンが外れると同時に、私の股間はフレームめがけて自由落下をはじめた。

ガリレオ・ガリレイがピサの斜塔から2つの球を落とすと、2つの球は同時に着地したらしい。この逸話は実証的事実による徹底的検証を行う科学の基本姿勢の萌芽として語り継がれている。

自然の法則は偉大である。ガリレオの示した通り、私の2つの球は自転車のフレームに同時に着地した

激痛が走る。しかし、交差点の真ん中でうずくまるわけにもいかない。股間を強打したことを知らない人には隠しておきたいくらいには、私はシャイなのである。

数分待つ。この時間には目をすぼめて空を仰ぐしかできないことをすべての男が知っている。

しかし、私はジムに行かねばならぬ。
今日は先輩とのトレーニングの予定があるのだ。
遅れるわけにはいくまい。私はチェーンを直し、自転車を漕いでジムへ向かった。

少し重い股間を気にしながら、スクワットをした。
トレーニングに問題がなかったから、最後の方にはもう股間のことなど忘れていた。

帰宅し、シャワーを浴びようとしたところ、風呂場の鏡にバグが発生していた。
ホモ・サピエンスをサバンナモンキーとして映してしまう不具合のようだ。

画像1
サバンナモンキー


...



「え?」

自らの股間をのぞき込む。その姿は、世界一下品なナルキッソスだ。

ナルキッソスは泉を覗き、泉は股間を覗いたのである。

ナルシストの語源のナルキッソス

さて、皆様は自らの男根が真っ青な血に染められていた経験があるだろうか。
少なくとも、私にはない。なかった。

とりあえず自撮りをしておいた。こんな状況でも、なんだかちょっと面白いなと思ってしまう自分がいるのが怖い。だが、ここで皆様にその写真をお見せすることは出来ない。親知らずを抜いた私の写真はもうフリー素材として利用していただいてよいが、キンタマまでフリー素材になるのは御免被りたい。

直接お会いできる方には、私のカメラロールを見せよう。
近日中に会う人には直接見せられるはずだ。というか面白いのでぜひ見てほしい。

親知らずを4本同時に抜いたときの泉(筆者)


ここで衝撃の事実。キンタマが真っ青だと、男は不安になる。

このまま私は生殖機能を失ってしまうのではないか?
このまま私は宦官のように生きていくのか?
もうTwitterのえっちなお姉さんに興奮することはできないのか?

様々の思いが私に沈殿する。

困ったときにはなんでもグーグル先生に問う現代とはいえ、医的な判断を腐りきった情報が蔓延するネットに任せることなんてできない。こっちは男のすべてがかかっているのである。

しかし、土日営業をする泌尿器科が近くにあること教えてくれるグーグル先生の存在はやはり偉大だ。

二枚舌を詫びながら、翌日その泌尿器科に駆け込む。

初診表を書いて待合室で待つ。冷えた汗が脇を流れ落ちていくのが気持ち悪かった。

診察室に入ると、恰幅のよい医者が小さな椅子に座っていた。

患部を見せる。

即座、笑顔でひとこと。
「あ~、これ全然大丈夫だよ」


あぁ、これほどまでに男を安心させる言葉があるだろうか。
来世は泌尿器科医になりたい。

そこから先のことは、「いいないいな泌尿器科っていいな~♪」と思っていたため全く覚えていないのだが、診察終わりに気になるひとことを掛けられた。

「これ真ん中じゃなかったら潰れてただろうね」

その言葉に青いキンタマがヒュンと縮み上がる。

なんという幸運か。もし2つの球のうち、どちらか一つが自転車のフレームに落下していたら私の運命は変わっていたのだ。

「地上での重力加速度は万物に等しい」
こんな冷徹な科学的言明に、これほどの温かみを覚えた人は私をおいて他にないだろう。私が16世紀に生きていたら、私の2つの球が実証科学の姿勢を切り拓いたことは疑いようがない。

今回の経験で、私は「球が2つある」というだけのことに妙な喜びを感じるようになってしまった。時代が違えば永劫語り継がれることになったであろう2つの偉大な球を有していることに、絶対の自信を持つようになった。

球が2つあることは当たり前じゃない。しかも、私の2つは特別だ。
その感謝と誇りを胸に、私はこれから生きていくことができる。精神のステージが、ひとつ、上がった。

2つの球に感謝しながら、戯れの日記は、ここらで終わりにしておこう。
こんな文章を書くのにやたらと時間がかかってしまった。みなさんも、自転車のメンテナンスは忘れずに。

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