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「浅草キッド」を見て浅草の60年代を知りたくなった

映画「浅草キッド」をNetflixで見た。

ビートたけしの下積みから売れるまでの人間ドラマで、舞台は浅草。まぁまぁ面白かったとだけ…
とにかく浅草が舞台というだけで見たので、映画の中の60〜70年代浅草のセットや雰囲気を食い入るように見てしまった。(意外と外観移すシーンは少なかったのが残念だったけど…)

フランス座の前の通りはこんなに暗く怖い感じだったんだ!ドンキがあるところはボウリング場で、ロック座も当時からあったのか。
など、発見がたくさん。

で、ここから本題で、いくつか自分の中で引っ掛かりがあった


深見千三郎やビートたけしの拠点であるフランス座にどんどんお客が入らなくなり、存続が危ぶまれていく→やってる軽演劇ってジャンルが古かったとはいえ、場所浅草なのに!?


映画の中で飲み屋にいるおじさんが、テレビで漫才をするたけしを見つつ言うセリフ
「浅草からこうしてテレビに出るまで偉くなって、すごいよなぁ」
→なぜ?浅草「こそ」芸事の中心で成功者が出て当たり前な気がする…そこまでしみじみすること? 

浅草は戦後からノンストップで栄え続けていた、、と勝手なイメージだったので引っかかった。どうやらある時期浅草自体が閑散とした時代があったらしい。

それはいつか?どんな街風景だったのかすごく気になって調べたら、わかりやすく浅草の変遷を辿っている記事があった

どうやら

・60年代半ばに入ってテレビの急速な普及
・浅草でも人気だったストリップ劇場が、全国に林立していった

これら二つのインパクトが凄かったらしく、わざわざ東京の端にある浅草の劇場にまで足を運ぶ人が激減したとのこと。映画の中でもテレビが主流になるハザマの葛藤は描かれてたけど、そこまでとは!①、理解…。

劇場に足を運ぶ客層ががツンと減り、大きな娯楽場も廃業し、華やかな雰囲気が廃れた浅草は地元の方がいるくらいになったそう。

そんな中で若いたけしが居ても立っても居られなくなるのは、なおさらよくわかる…。

そんは時代の浅草から、大流行してるテレビに出る芸人が輩出されるなんてそれは驚くから②も納得した。

現在のコ○ナ禍の、1番ひどい時みたいな人流だったのかな。人がいなくて歩きやすい浅草。
でも今みたいに道は明るく無いんだろうな。
そう考えると、女1人で行くには結構危ない場所だったのかな。

浅草は行けば行くほど、知れば知るほどおもしろいなぁと思う。図書館行って調べたら、写真が見れるかな。。もっと解像度高めて知りたくなったのでした。

つづく

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