エピソード
うれしい話をしてくれる人がいる。
おもしろかった話をしてくれる人がいる。
むかついたことを教えてくれる人がいる。
悲しかったことをこぼしてくれる人がいる。
わたしはそのどれもがすごくうれしい。
あなたの心をあなたの日常を教えてくれてありがとう。心の話をする相手にわたしを選んでくれてありがとう。大切に聞きたいなと思う。一緒に笑ったり笑い飛ばしたり、ただそばにいたりできたら最高。
一方わたし。
自分のうれしい話やおもしろかった話、むかついたことや悲しかったこと、たしかに毎日あるのだけど、エピソードトークを人にするのがちょっと苦手だ。たしかに誰かに話したいし、できればきみに聞いてほしいのだけど。
そんなに話がうまいわけでもないし、退屈なのではと考えてしまう。話している途中でなんだか泣きたくなってきたりする。わたしが嬉しかった話なんてどうでもいいかも、と逃げ出したくなったりする。話し終わってから、ああ話しすぎたかなあと静かに凹んでいたりする。
コンテンツの話も心そのものの話もいくらでもできるのに、なぜかエピソードトークだけは少し気後れするわたし、なぜなのだろうね。
質問は安心する。わたしの話をしてもいいんだ、この人はわたしの日々を聞いてくれるんだと思う。少しだけほっとして、楽しかったことを楽しい気持ちで話せるようになる。
かと言って何でもかんでも話せばいいのかというとそういうわけでもなく、やっぱり自分の中だけに秘めておくべきことや大切に抱えておくべきエピソードもあると思うので塩梅が難しい。人に話すということは相手に反応を要求することだし。
1:1では話しにくいのにTwitter(わたしはいまだにXじゃなくてTwitterだよ、すごいでしょう)やインスタには気楽に書けるというのはおそらくこの読み手に求める反応や負担の有無に起因しているんだろうな。
てなわけで、最近は無理のない程度で自分のエピソードを披露していくように心がけてみたりしている。話しながらこれ興味ないのかなあと思ったりもするけれど、そういえば中学や高校のときは意味のない話ばっかりしていたし意味のない話が楽しかったなと思ったり。みんな何をどこまでひとに話しているんだろう?
お互いの明るい話、適切な範囲の中で少しずつ交換していけたらいいよね、ハム太郎。
おわり。