三色団子

もういつの頃だか思い出せない。本当に思い出せない。
私が幼稚園に入る前だったか、入った後か。人より一年遅く幼稚園という世界に入った私は、その一年分を使って母や祖母と旅に出ていた。
いわきの方にある祖母の家に、二人で常磐線に乗って。上野駅のプラットホームから乗り込んで会いに行っていた。あの頃はカシオペアも展示をやっていた気がするし、東海道線の一両貸し切って荷物運送をしていた様子も見たことがある。

その中、どうしても忘れられない、そのくせ思い出そうにも思い出せない、三色団子の話がある。

どこをどう旅したのかを思い出せない。ただ、最後に南武線の車内で母と団子を食べた。どこで買ったのか。菓子屋で買った気がするが、コンビニだったかもしれない、前者であってほしいし、きっとそうだった。
まだ電車に乗って出かけることが珍しかった私は、確かに楽しかった。いざ、帰るという時に、それを食べながら発車を待っていた。終点だったのだろうか?いずれにせよ、出発まで時間があった。人は少なかったように思う。あの頃はまだ、205系の妙に高反発な椅子の上であった。

「またお団子を食べたいね」「また電車の中で食べよう」と母と会話した記憶がある。
ただそれがいつのことだか思い出せない。いつのことだろう。何か悲しいことがあったのか、嬉しいことがあったのか。寝る前のひと時だったか。旅からしばらく経ってからの会話だったと思う。約束は果たされていない。

妹はどうしていただろうか。妹が生まれてからのことか?生まれる前だとしたら…2歳か、3歳の前半だ。そんなはずはない。もしそうなら妹が生まれた時の話とか、その様子とか、覚えているだろう。きっとその後だ。その幼稚園に入るまでの猶予の頃だ。それなら尚更妹はどこにいたんだろうか?一緒にいた気もするが、とにかく私の中には、あの列車の中で母と食べた団子のことしか記憶にない。

高校時代、電車で移動する頃が日常で、放課後、都心につながる満員電車の先頭で、その割に誰も乗らなかった時間に一人団子を食べることもあった。追憶のひとときであった。ただひたすらに、あの頃とは違って、お腹が空いて手っ取り早く埋められる軽食、安くて腹持ちが良いからという理由の団子だ。隣に人はいない。車内に一人として。私を除いて。ただそこに空虚な空間があって、私がいて、団子が三刺し。分ける相手もなく、一りで。

以来、私は三色団子を見ると、その思い出を思う。いつのことか思い出せず、ただ最後に三色団子を母と食べたことだけが、思い出される。

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