「好き」と「憧れ」の関係について

注意

この文章を書くにあたって何度も書いたり、書き直したりしているので、文章のつながりや流れが見えにくくなっています。

 
あーあ。締切守れなかったね。
いつもそうだ。冬コミにも間に合わなかった私はもっと責められるべきだ。というか、冬コミの内容、実は夏コミで出そうとしてたものだからね。もう私は2回も機会を逃している。逃しているというと、私が悪くないみたいな言い方ですけど、悪いのは私です。書いてなかったんだもの。
 
いや、正しくは書いてたんですよ。書き終わったところくらいまではきてるんですよ。でも、推敲をしてない。あともうちょっといい感じに書けることがわかってるので、これで出したくないっていうのもある。
 
note開くの久しぶりだな…もうかれこれ一ヶ月は開いていなかったと思う。
いや、そう、開いてはいたんですけどね。これ以外に下書きにも何作か放置してある文章があるんですけれど、どれもこれも「うーん、まだ出すまででもないかぁ」で止まっている。残念すぎる。
今回本来書くべきだった「好きとそのうんぬん」みたいなやつも、書きたかったんだけどな…あれ書こうとすると過去の思い出を引っ張り出すことになるから傷心する。
そういうことをするときはある程度私を病ませた状態じゃないとダメなんだよね。今の私は全力で健康的です。
二日間かかると思っていた課題が3時間で終わってそこから一切のストレスがなく過ごしている。今日だってお祭り行って銭湯行って色々やって寝ようとしてる。いいね。お泊まり会ですよ。友達もいるんですよ、横に。これ毎日宿舎でやってんな…
 
古今東西、さまざまな恋愛話があるわけで。御多分に洩れず、私(わたくし)もさまざまな話を聞いているわけでありますな。また当の私もその対象になるわけなのですが、考察してみると、好きという感情がいまいち明確ではない。これもまた、それはそれは多くの作家が小説やドラマや漫画の題材にされているわけですが、私もその議題に足を踏み込もうと思っているわけです。
私が好きな人って、それ好きな人って言えるのかな?っていう話です。
仮に好きな人がいたとして、それその人が好きというより、その人の特技や特性に「憧れているだけ」なのではないだろうか?という結論に至ったわけです。
優しいとか、話していて楽しいとか、そういうのってその人の特技・特性が好きなのであってその人のことを好きになってるんじゃないのかな、って思っちゃったんです。その瞬間に「ああ私、この人に憧れてただけで、この人のことは好きじゃないんだな」って思ったんです。難しい表現だな。
実際いたんですよね、好きな人。でもわかんなくなってしまったんです。失礼な話だ勝手にこっちが好きになってわかんなくなりましたでnoteの話に持ち出してるの。申し訳なさすぎる。
可愛かった→好きにはならないな。これはおかしい。「この人かわいいな→ああじゃあ好きだな」はあまりにも軽率すぎる結論。導き出されるにはあまりに短絡的すぎる。一目惚れと同じ?一目惚れってなんなんですかね。ちなみに私は推薦入試の時にあった子が
というか、身体的特徴で好きになるは、恋愛的にはちょっと忌避されるよな。かわいいからってのもそれだし。そうなのかな…言動が可愛いとかもあるんじゃないですか?可愛いってなんだ?
はっきりと言えるのは、あの子が他の男子と会話してるのを見て、ちょっとムッとしたことがあるということですな。この事案があった時に、自分は紛れもなく彼女が好きなんだとわかったけれど、そうだとしてその理由が言えなかった。「どうして好きなのですか」に対して私は「話していて、惹かれる。もっとこの人と話したい、一緒に過ごしたい」と答えられただろうが、その言葉を発しながら考えていたことは「それはその人に憧れているだけだ。その人の優しさ、話し方、いいなと思っているだけでそれはその人が好きなのじゃない、憧れているだけだ」と。いやこれこじつけな気がしてきた。でも、本当に私は好きなんじゃなくてただ憧れてただけというのが今振り返ると思いつくこと。
怖い話だ、私にとって好きは憧れに入れ替わってしまった。それ以来私は人のことを好きになれない。
大学に入って、結構多くの人に出会ってきた。順当にいけば一人や二人好きな人がいてもおかしくない(と思う)のだが、いない。もう私にとって恋愛などは無感情になってしまった。浮いた話の一つや二つ、あればいいのにな、と思う。
もはや私は、好きな人がいたとて尊敬とか、それこそ憧れだとか、「私と違う世界に生きている人だ」と思って遠くから見るだけになっている。
今あの人は何をしてるんだろうか。私が勝手にこんなふうにぐるぐる考えていることを知られたらかなり嫌だろうな。
 
ちなみに憧れるという言葉には(恋愛的に)好きになるという意味も含まれてはいるんですよね~あまり使われないらしいですけど。この文章を書くにあたって調べたら出てきたので知識として披露しておきます。
 
今の私にとって幸せなのは課題がなくて友達と好き勝手遊んでる状況なので、別に彼女がいたとてってところはある。
ん?ちょっと待って。別に彼女とかじゃなくて、好きな人がいなくても、という話になってこないか?
好きな人がいるというのはかなり生きていく上でかてになりますよ。だってその人に会いたいからとか、話したいとかという理由で頑張れるから。その点、私はあの人に会いたかったから高校に行ってたわけだから、まあ間違っちゃいないのであろう。

突然ですが私は依存体質だ。
この依存ってのは、別に好きな人に対してだけじゃなくて快楽とかにも通ずるところがある。麻雀で勝った時の快感が忘れられなくて寝る前に二、三局やってしまう。負けて不貞腐れながら寝る毎日。オロナミンCはかなり依存してた、かな?正直そこまででもなかった。止められてたし。机の上に整然と並ぶビン。最近はMonsterのレモネード味にハマっている。怖いね、グレードが上がってんのか下がってんのか。
それが私にとって快楽をもたらすとわかった瞬間に思いっきりのめり込んでしまう。
 
色々あって、誰かに欲せられてるという状況が非常に嬉しいというか、存在意義を感じるという点で私に快楽を与えていた時期がある。今も割とそうだけど。こうなった私に恋愛させると面倒なことになるのがお分かりだろう。(付き合ってた時代)相手が自分のことを好きだ、と思っていたんですけどどうなんですかね、相手本当に私のこと好きだったのかな。私が彼女のことを好きだったのはそうなんですけど、いや?どうなんだ?好きだったのか?単純に依存してただけでは?
誰かに好かれている、少なくとも目の前のこの人には好かれていることになっているので、奉仕したくなる。この人のことを考えていることが私にとっての精神安定。
 
自己肯定感の低さが露呈している。私のことを好きになる人がいないという前提で物語が進行していることを悪しからず。
 
私にとって好きになるというのが、「好きである状況」なのであろう。ちょっと言葉遣いがおかしいけど(伝われ)
だからそうなってくると、話の前半で出てきていた女子が好きなのかどうか、という話に戻すと、あの人に会いたいとか話したいとかいう理由で行動していた理由がわからなくなる。

私が恋愛的に人を好きになれないのは、その人に「憧れているだけなのではないか」と考えてしまうからで、

日々私がベッドの中で考えるのは「好き、と言える人が欲しい」のであって、

私は恋愛がしたいのではなく、依存したい、私が生きている理由をその人に押し付けたい、

その一心なのであった。

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