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人生にずっと「宝塚歌劇団」があると言う事。


3年前の今頃、母が他界した。

開口一番、呆れた顔の主治医は「もっと早く家族を呼べと言い続けて来たのに!全くあの人は頑固やわ」と言い放った後「もう手の施しようがないからね」と告げた。「ですよね、母は頑固ですからね」と返すしかなかったし、とにかく楽に過ごせるようにして欲しいと伝えた。

本人の希望通り在宅で過ごす事にした。
仕事でも介護、実家に帰っても介護。と言う生活を数か月送った。

仕事でお金を貰って他人のお世話をする「介護」と、家族の「介護」は別物なのだと気づいた。利用者さんはどんなに腹が立っても他人だし定時になったら退社出来る。職業人としての理性を持っている。家族ともなると母親だから腹が立つし感情的になる。末期にはせん妄も入っていたのだろう。子供みたいなわがままを言い出すし、夜中に大量音でTVを流す、口をねじ開けないと口腔ケアをしない。施設でならば人を変え時間を変えて色んな知恵で対処するのに、家では私しかいない。とにかく腹が立って仕方がなかった。

その生活の合間に観劇したのが「不滅の棘」と「WEST SIDE STORY」だった。

四六時中介護の中で救いを求めたはずなのに「舞台が白かった」「人が殺されるシーンが辛かった」以外の事を覚えていない。どっちの舞台が白くて、どっちの舞台で人が殺されるんだろう。それすらも後日放送を見て知った。確かに私は観劇していたはずだ。パンフレットも残っている。なのに何も残っていなかった。

「人生の中で忙しかったり余裕が無かったら離れたらいい。余裕が出来てまた楽しめると思ったら戻ってくればいい。宝塚はこれからの人生にずっとあるものなのだから、付いたり離れたりしながら付き合えばいいのよ」

3年前の今頃、宝塚ファンの方に言われた言葉だけは覚えていた。

この頃はそりゃ100年以上ありますもんね~と、気にも留めなかった。

母との別れがあった後、新しい生活を送った。会社が変わって年収が上がった。大劇場により近いアクセスの場所に引っ越した(駅の近くと言う意味で)休みの融通も比較的効くのでより観劇しやすくなった。

近所にジムが出来たので通い始めた。初めてのディナーショーに着ていく服がない!と大騒ぎしていた頃の体重から、20㎏以上の減量に成功した。お茶会ごとに着ていく服やメイクを選ぶのが楽しかった。見た目も大幅に変わって「キレイになったね」と言われる事が嬉しかった。

全てが順調だった。宝塚歌劇団と言う趣味に出会えた事で、こんなにも人生が楽しく明るく変わるのか!と言う位に変わった。

純粋に「楽しい」と思っていた事が、いつしか「頑張らなければいけない」にすり替わっていた。「頑張らない私には価値がない」「頑張り続けなければいけない」頑張らなきゃ、頑張らなきゃ。

仕事もそうだった。資格を取ってもっとキャリアアップしなきゃ。知識のインプット・アウトプットをしなきゃ。頑張らなきゃ。筋トレもここまで来たのだから手を止めてはいけない、頑張らなきゃ。宝塚に関しては「いい宝塚ファンでいなければいけない」し「初日・千秋楽あらゆるアドリブや舞台の変化を把握していけなけばいけない」などを思っていた。

頑張らなきゃ、頑張らなきゃ。

コロナ禍の中で、この思いが私を苦しめていると言う事に気づいた。

「頑張ってるのにちゃんと見てくれてるの?」と言う焦りがあったし、SNS上の様々な価値観の違いに「清く正しく美しい宝塚を守っているのに!」と憤るようになった。

仕事もプライベートも「頑張っている完璧な自分」を保てなくなった。

感染対策は取っているけど、そもそも観劇していいのだろうか?お友達とお喋りしたい。行きつけのお店に行きたい。そんな事思うなんて観劇自体ままならない人もいるのに、私はこんな贅沢を言っていいのだろうか。段々と「自分軸」から外れていき、様々なものに罪悪感を覚えていくようになった。何に焦ってるかも分からなくなった。

年明けぐらいから眠れなくなり、ついに同僚から「休め!」と叱られた。

「コロナでしんどいのは皆そうやけど、しんどいなんて人それぞれ。無理して身体壊したって会社は責任取ってくれへんよ」と言ってくれた。別の先輩が「あなたじゃないと出来ない仕事やアイデアがいっぱいあるの羨ましいと思ってるねん」と言ってくれた。上司から、まずは休んだ上で「組織に必要なスキル(資格)」について初めて話し合う事が出来た。ただただ、今のままじゃダメだと焦っていただけで、具体的な話をすることが無かった。

有休を使って少し長めに休ませてもらう事にした。

その間、出来るだけ規則正しく寝て起きて、とにかく眠れる事に全集中。朝は近所を散歩して、モーニングセットを楽しむ。思い立って美術館に行ったり、行ける日はジムで30分だけでも走った。こんな時だからこそと重いテーマの本を読む(フランクルの「夜と霧」が良かった)(宝塚ファンの方にお勧めしてもらった「貧乏サヴァラン」も良かった)

宝塚では、まどかちゃんとあおいさんが花組へ行くと言う事。アナスタシアが無事に終わった事を把握している。今はまだ深く首を突っ込む気にはなれなくてTwitterをお休みしていた。宝塚はずっとあるのだもの、触れたい時にだけ触れればいい。大丈夫、戻ってこれる。それが次の公演か数年後かは分からないけど、気持ちが追い付かない時は離れていいんだって思える。

3年前に言われた言葉が生きている。

一人っ子の私は母から「甘やかされて育った」「すぐ泣く」「一人っ子はダメだ」と言われ続けて生きていた。今は世の中に一人っ子がどれだけいると思ってるねん!で笑い飛ばせるけど、子供の頃から染みついてきた思考が、母を亡くした事で「母が居なくても立派に生きている私」でいなければいけないと言う強迫観念にすり替わっていた。周囲にもそう思って欲しかったのかな。

頑張って生きてるよ。何事も順位を付けず全力投球だった。

けど、しんどい時はしんどい!でいいよね。

しんどい時は休んでいいかな。しんどい時は離れていいかな。

その時々のタイミングで、しんどさの優先順位をつけた時に宝塚が来ない事もあるだろう。そんな時も人生のなかであるだろう。だけど、いつもそこある事は忘れない。マルーン色のあの電車に乗れば、いつだって夢の世界に足を運ぶことが出来る。

大丈夫、これからの色々な事もなんとかなる。

「宝塚歌劇団は私の人生にずっとある」のだから。