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信州渋温泉で感じた歴史とエリアの価値

長野県の渋温泉へ行ってきました。
今まで、あまり温泉地めぐりとかしてこなかったのですが、外湯めぐりなど先日のあわら温泉とはまた違った特色がありとても良い経験でした。

あわら温泉の記事はこちらから。


信州渋温泉とは

信州渋温泉
夜間瀬川支流の横湯川沿いに温泉街が広がる。横湯川沿いの大型宿泊施設のほか、石畳の道に木造建築の旅館が並ぶ。また外湯巡りが有名で共同浴場は9軒存在し、一番湯・初湯、二番湯・笹の湯、三番湯・綿の湯、四番湯・竹の湯、五番湯・松の湯、六番湯・目洗い湯、七番湯・七操の湯、八番湯・神明滝の湯、九番湯・大湯とあり、それぞれ泉質・効能が異なる。いずれも宿泊客および地元住民専用であり、どの浴場にも共通鍵がかけられている。

Wikipediaより

歴史は古く、およそ1300年前に行基菩薩が全国を旅する途中で発見したと言われています。渋温泉の一番奥に「温泉寺」というお寺があります。こちらは行基菩薩が開山ではなく、1300年頃に臨済宗の寺として開創され、後に曹洞宗に改修され現在に至っています。戦国武将の武田信玄が川中島の合戦で疲れた体をこの渋温泉で癒したと伝えられており、その感謝の意を込めて、温泉寺に寺領70貫を寄進し、現在でも”武田信玄ゆかりの寺”として、武田菱がお寺には掲げられていました。周辺の温泉街にも至る所に武田菱が掲げられていました。
山梨県民ですが、渋温泉と山梨県にこんなつながりがあるとは、恥ずかしながら現地を訪れるまで知りませんでした。


昔懐かしい佇まいの街並み

今回泊まるのは「金具屋」さん。
昭和11年に完成した木造四層の建物「斉月楼」と同じく木造で130畳の大空間となっている「大広間」が、国の登録有形文化財に登録されている歴史あるお宿です。今回私たちが泊まったのは、別棟の建物でした。
この金具屋さんは、映画「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルになったとかで、ファンの方もよく訪れるそうです。

看板
ライトアップされた建物を撮影スポットから

到着すると、旅館内の内湯もたくさんあるのですが、せっかくなので外湯めぐりをしてみることにしました。旅館の部屋には外湯めぐり用の鍵が置いてあり、各お湯を鍵を開けて入ることができます。外湯は1箇所を除いて、地元の方々と旅館の宿泊客以外は入れないようになっています。

注意書き付きの巨大なキーホルダー
こんな道や
こんな道
一番湯

旅館のすぐ近くに一番湯があったのでそこからスタートしました。
鍵を使って中に入ると、脱衣ロッカーが6つほど。浴槽を見るとだいたい4人くらい入ればいっぱいになるくらいの大きさです。
さて入るかたと桶で掛け湯をしたと同時に、あまりのお湯の熱さに飛び上がりそうになりました!笑

渋温泉は旅館も外湯も全て源泉掛け流しで高温の温泉が多いとのこと。水で温度調節をしてから入らないと大変なことになります。源泉の温度がかなり高いので、水を入れ始めても10分以上もとても入れないなんてこともありました。注意書きをよく見ないといけませんね笑

ちょっと火傷しました…笑

湯温を調整すると、とても気持ち良い温泉。ちょっと熱めに調節したお湯で体を温めて、冬の寒い温泉街を歩いて次のお湯に向かうと温冷交互に感じられて、自然と整いモードへ。3箇所くらい巡るとだいぶいい感じに。5箇所回ってだいぶ仕上がったので、九湯制覇はせず。外湯巡り中は水分補給も忘れずに。

射的場
無料開放されている卓球場

こんなお店もあって、湯めぐりしながら街並みも楽しめてあっという間に時間が過ぎます。


夕食前に金具屋文化財めぐり

夕食の前に金具屋の文化財に指定されている建物の紹介をしてくれるとのことで参加しました。

金具屋の九代目店主の方が直接案内してくれます。

九代目

金具屋さん、元は地域の鍛冶屋さんから始まったそうで、その名残りで金具屋という名前を名乗っているとのこと。

この大広間も文化財。屋根にトラス構造を取り入れた、擬洋風建築にすることで柱のない大きな空間を作ることができたとのこと。

この建物は、昭和初期に渋温泉の近くに鉄道網がやってくることになり、それまで地元の人たちが利用するための温泉地でしたが、善光寺参りの観光客の宿泊などを見込んで6代目店主が計画して地元宮大工たちによって建築されたとのこと。当時、地元の宮大工を引き連れて全国の先進的な事例を見て回ったそうです。

大広間の天井。この上はトラス構造になっている。
ステージの背景幕。昭和11年当時のもの。

舞台部分と広間部分の天井が違っていますが、広間部分は大雪で倒壊して改修を経ており、当時一枚の大きな板が大量に手に入らなかったため、飾りを施した天井になっているとのこと。格天井(ごうてんじょう)は板を見せるのが本来らしく、舞台部分が本来の姿とのこと。

客室。廊下を屋外に見立て、各部屋が設えてある。一つも同じ設えの部屋はないとのこと。
階段の踊り場。富士山を見上げたり、見下ろしたりできる粋な設え。
こういった設えまでこだわるところが良い
昔は右側が売店だったとか。ここも通路を外に見立ててあり、
写真では分かりづらいが天井が青く塗られており、空を表している。


渋温泉街情報

渋温泉内にはコンビニ等はなく、19時くらいには小さな商店も閉まってしまうので買い物するなら食事前に済ました方が良い感じでした。他の宿は分かりませんが、宿内には自販機となかったので。
居酒屋のようなお店も数件ありますが、22時くらいにはほとんど閉まってしまうようなので、温泉入ってご飯食べて大人しく休んで、また朝風呂を楽しむというのが渋温泉の良い過ごし方のように思います。外湯は朝6時から入れます。

海外からのお客さんも来ているようで、話を聞くと素泊まりの宿に数日滞在しながら食事は、周辺のお店を利用しているそうでした。22時頃小腹が空いて何か食べれるところないかなと、仲間と店を探したらほぼ外国の方で満席のお店がありました。

なんか、めちゃくちゃ盛り上がってて楽しそうだったけど残念ながら入れず…。

他にも、雰囲気の良さそうな新しいお店もあるようでした。

あと、金具屋さんですが若い従業員さんがとても多かったです。この辺りどうなっているのかな、と気になりましたが話を聞けず。

帰ってから調べたら金具屋さんって温泉音楽の会場だったんですね。僕らが訪れた2日後に温泉音楽2023が行われていたとは!

九代目さんが、色々と取り組んでいるようなので、この辺りに若い従業員が多い秘訣もあるのでしょうか。

こちらで朝の外湯の後に朝ラーキメようと思っていたら、タッチの差で閉店に…
こちらでモーニングコーヒーをいただく


地元住民によって守られている温泉

渋温泉には、大小約40ヶ所の源泉があり、最も湧出量が多いのが、渋温泉から約2km上流にある「荒井河原源泉」です。この源泉は、横湯組と渋湯組という地元住民組織によって管理運営されています。毎年、春と秋の2回、荒井河原源泉から渋温泉街の最も下流まで、地元住民の方たちが1週間ほどかけて手分けして掃除を行なっています。また、街には分湯桝(ぶんとうます)という、温泉を各家々に分ける設備があり、こちらも地元の方達によって管理・運営されています。
私たちが、帰る時にも自宅に温泉をひく管を清掃している姿が見られました。
渋温泉は、昔から地元の人たちがお金と労力を出し合い、長年受け継がれてきている大切な温泉なのだと、街全体から伝わってきました。
長年培った歴史・文化の価値を地元の人たちが自覚し、それを活かして、これからの街を考えていくことが大切で、「敷地に価値なし、エリアに価値あり」という視点が大切だと、改めて教わった今回の旅でした。

温泉街には、古く老朽化した空き家のような建物も散見されました。今後そういった物件がどのようになっていくのかも、注目していきたいと思いました。

終わりに

渋温泉に行ってきたことをSNSに投稿したら、色々な方から反応いただきました。
みなさん渋温泉好きなんですね!
私にとってもまた来たいと思える素敵な温泉街でした!

以下は、おまけで温泉初心者の私が超個人的にオススメする、外湯めぐり方法について書きます。本当にしょうもない内容なので有料です笑

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