村上春樹を初めて読んだ 他

アメスピの緑と紫

気分を変えてみようと思ってアメスピの緑を買ってみた。最初の三日くらいはミントの爽やかさが鼻に抜けて、好みでないながらも新鮮な吸い味が楽しかったのだが、四日目あたりから僕が慣れたのか煙草が悪くなったのか、草っぽい青臭さが感じられるようになって辛かった。

半泣きになりながら緑の箱を空にしたので、今日は紫のやつを買ってみた。二箱買った黄色のヤツはタールもニコチンもまあまあある(僕の周りにいる喫煙者は皆0.1ミリとかばかりなので、僕がもらい煙草するのも1ミリとかである)ので、重さをしばしば感じていた。アメスピの紫も1ミリなので一番馴染み深く喫めるかな……という期待を込めて。

結論としてはどーも味が薄くて、あんまりだった。もらい煙草していたのは(大抵酔っ払っていたのでよく覚えていないが)紫のポッチが入ったメビウスのメンソールだったので、馴染み深い味は煙草以外の味が添加されたそれだったようである。僕の中の清原も「これなら黄色吸うわ」と言っている。とはいえ草っぽくなった後の緑色よりは全然マシ。これがなくなったら黄色を買いに行きます。

村上春樹を初めて読んだ

ダンス・ダンス・ダンスの上巻を読んだ。村上春樹といえば「やれやれ」を多用する鼻持ちならない作家という印象だったのだけれど、爆発的に面白かった!

音楽のなっている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなっちまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。

村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(上)』182-183

ここ特にすごい。現実と並んで存在する現実離れした世界(=こっちの世界)と現実(=あっちの世界)についての語りもそうだし、こっちの世界の中に囚われること防ぐための方法として「踊り続ける」を提示するすごさ。夢と現実を両方持つ人間が現実的に生きていく方法としてこれ以上のものはちょっと思いつかない。80年代の終わりにもうこれが書かれてたんですか!?
ヤバすぎ。

そのままの勢いで下巻も読んだ。上巻を読んだ時ほどの衝撃はなく、むしろ80年代の終わりに書かれた小説としての手触りを強く感じた。登場人物が皆精神的には欠落した部分を抱えているけれど、物質的には概ね充足されてるところとか、なんでも経費で落とせちゃうところとか。20年代の小説で高度資本主義について取り扱うのであれば、物質的な欠落の恐ろしさや、主義の作る世界に取り残された人間をスルーして話を進めることはない気がする。

物語の舞台は1983年だが発表されたのは1988年だということなので、正にバブルの真っ只中である。根幹にある精神の空洞化に関する語りは現代にも共通するが、お金に関するお気楽さみたいなものは全体通して感じられた。
この辺は時代性の限界……というかカラーなのかも。

いずれにせよダンス・ダンス・ダンスを読む限り、村上春樹は想像よりも鼻につくところがなくて、普通〜に読みやすくて面白い話を書くなあ、という感じでした。また他のも読みたい。

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