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夫のはなし。


あの人は、最期どういう風に過ごしたかったかなぁ…。

「あの人」とは、私の夫のことです。
私の夫は、胚細胞腫瘍という聞いたこともない癌が、前縦隔というこれまた耳馴染みのないところにできてしまい、その後胸膜や肺に転移し、35歳を目前にした春に亡くなりました。

病気を宣告されて、わずか1年ちょっと。
当時、子どもも一歳になったばかり。都内に住んでいた私達は、子どもの生活環境を考えて地元に戻ろうと決心したばかりでした。
就職先も決まり、地元に戻るまであと2ヶ月弱というところで病気が発覚。
自分の身に何が起こったかよく理解できないまま、言われるがままに大学病院に入院。すぐに手術し、約7㎝程の腫瘍を切除しました。
その後、細胞を病理検査に出したところ、前述した病気だとわかりました。

術後、本人は色んなところの違和感を訴えていましたが、私は大きい手術をした後でナーバスになっているなとしか捉えていませんでした。それは主治医も同じだったと思います。
本人の必死の訴えにも、
「こんなに同時に色々病気にならないから大丈夫」
という言葉かけからもそれは受け取ることができました。

その後、本人の嫌な予感は的中してしまい、胸膜への転移がわかり、既に癌細胞が散らばってしまっていたため、手術をすることができないことがわかりました。
主治医は地元に帰らず、病院に残り抗がん剤治療をすることを勧めましたが、
(手術したのに。主治医は大丈夫っていってたのに。)
主治医への不信感が一気に湧いてきて、私は主治医の話に揺れる本人を無理矢理地元に連れて帰りました。

地元に戻り転院した病院では、すぐに抗がん剤治療となり、入退院を繰り返しました。
小さくはなるけど無くならない腫瘍。
抗がん剤治療を止めるとすぐに腫瘍は大きくなりました。

転院して4ヶ月の秋。主治医からは、試せる薬が限られてきており、腫瘍の大きくなるスピードも早い。このまま薬が効かないと半年以内で亡くなる可能性もあると言われました。
余命宣告を受けてもなお、私は現実を受け入れられず、本人にも余命を悟られまいと普段と変わらず接するよう努めました。

主治医が治せないなら私が治すしかないと、退院後は食事療法を取り入れて、それは本人がターミナルになるまで続けました。
本人がコンビニ弁当やファストフードを食べようものなら、自覚がないと怒り、ただでさえ治療の結果が出ず追い込まれている本人を崖の淵に追いやってしまっていました。
全て手探りな私の食事療法は、おいしい時とそうでない時の差が激しすぎて、本人もきつかったと思います。
今思えば、最期くらい本人が好きなものを毎日食べてもらえばよかったと思います。
本人が最後に食べた私の手料理は、味が薄くてお世辞にもおいしいとは言えなかった。
だけど夫は頑張ってそれを全部食べてくれました。

夫だって日に日に衰えていく自分の身体や、何かを隠しながら接している周りの人達に不安や恐怖や怒りを感じていたと思います。
そして自分の残された時間もどのくらいか知っていたと思います。

でも、「残された時間」について話してしまうと、本人の時間が少なくなっていることがわかってしまうと思い、それについて話すことは私からはできませんでした。私も現実と向き合わざるを得なくなってしまう。言葉にしてしまうと、夫がいなくなってしまうことが現実味を帯びてしまう。
本当は自分が怖くてできなかったんだと思います。

夫も自分の病気で生活が変わってしまったこと、仕事も子育てもできないことへの後ろめたさから、もしかしたら「残された時間」をどう使いたいかを言い出せなかったかもしれません。

夫の「残された時間」は、ほぼ抗がん剤治療による副作用との戦いと、転移による症状との戦いでした。治療はほとんど弱音を吐かずに一生懸命頑張っていたけど、それは家族のためであって、本人はもうやめたかったかもしれない。
治療に対して本人はどう思っているのかをその都度確認するべきだったのかもしれません。

また、近しい人達と意見の相違でぶつかってしまい、支えになってほしい人と険悪になってしまった時期もありました。

その際、私は間に入らないといけなくなり、その時夫から言われた、「自分と同じ気持ちでいてくれてると思った」という言葉は今でも忘れられません。
その言葉を言われたことで、自分が十分に夫に寄り添うことが出来ていないことに気付き、大きなショックを受けました。

もっと本人の希望を確認して、本人の負担にならないように私が守ってあげるべきだった。
治療で身体がしんどい中、味方であるはずの私がまたもや精神的に追い詰めてしまったのでした。

本人の「残された時間」をどう過ごしたいかを知るには、当たり前だけど、やはり本人と話をするしかないと思うのです。
それは、病気になってからでは遅くて、普段から少しずつ。
「人生会議」ってなんかすごく大袈裟に聞こえるけど、死生観や、どういう人生を送りたいかとか。そういうの。
これは歳を重ねることや、いろんな経験、周りの影響を受けながら変わっていくものだと思うから定期的に。
お互い話をしておくと、相手の時だけではなく自分の時も助かる。
周囲や医療者との変な摩擦は最小限で済むのではと思います。
それは夫婦だけではなく、できたら自分の親だったり子どもとも。

なんだか、言いたいことがあるようなないような、思い出したくないような人に聞いてほしいような、なんだかよくわからない薄っぺらい文章になってしまいましたが、私の教訓として残しておきたいと思います。
そしてこの経験が誰かの役に立ちますように。

#わたしたちの人生会議


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