江戸城の鬼門除け
江戸城の鬼門除けは、江戸城の大極(中心という意味)から見て鬼門除けに建てた上野寛永寺と、もう1つは裏鬼門にあたる永田町の日枝神社です。
川越の山王権現、近江坂本の日吉神社を家康が城内の紅葉山に祀り、さらに半蔵門の外に遷座させたその後の明暦3年、振袖火事で炎上したため、赤坂溜池に隆起した吉地に遷座しました。
日枝神社や神田明神を江戸城の鬼門に移し、さらに寛永寺を建てたのは家康の本命の東北が大吉であるにも関わらず、城から見ると東北が悪い方位だったので、鬼門除けに力を入れたのです。
また、裏鬼門に当たる方位に芝の増上寺を建て、裏鬼門除けをしました。西南の二黒土星の方位は家庭、母親、日常生活の場所です。
家康には、中吉の方位になりますが、更に
御家安泰・子孫繁栄の為
に、天海は西南の裏鬼門も軽く見ることが出来ず、増上寺を建てたのです。
江戸の三大祭とされている神田神社の神田祭、浅草寺の三社祭、日枝神社の山王祭は、江戸城の鬼門と裏鬼門を浄める為のお祭りです。
未申の裏鬼門は7月の小暑から8月の立秋を経て、9月の白露に当たります。1日ならば午後1時から3時の未、3時から5時までの申の刻に当たります。
夏、昼の陽の気が終わり、陰の気が変化する時です。天海は北に当たる「子」の方位に部下、盗賊、剣難が吉になる為に日光東照宮を建てたのです。
以上のように天海が鬼門方位を大事にしたのは、
時代の変遷、時の流れの変化を恐れたからです。
物事が変化変転する時は、
内側の力と外側の力関係の均整がとれなくなった時です。
東北の鬼門を忌み嫌うのは江戸城の築城に用いた方位学が民間に伝ったからです。
築城のように、広大な敷地に十分な方位を用いることは難しくはありませんが、一般家庭の限られた土地に限られた予算で建築またはリフォームする場合、家相、方位などを完璧にする事はなかなか大変です。
せめて新しい土地を購入する時には、吉報をお選びください。また、建築時には水回り・玄関など出来るだけ良い場所に持っていきたいものです。
各人の吉凶の方位は毎年変わりますので、自分が回座している年の方位に注意して、
『暗剣、五黄殺』が回って来ている時は
特にその方位の泊りがけの旅行などは避けてください。
*これまで知らなかった事も、色々なことを知る事で、
ああ、その時代のその方々の
想い思うからこそ溢れてくる愛の業かなと思うところもあります。
天海が繁栄を思っての...事ですから。
どこかしら、親が子を想う気持ちと同じだなと。
個人的に歴史の授業、好きではなかったです。
はっきりいうと、大嫌いでした。
何年に誰がどこで何をした。
〇〇家も、何代も続くと、
誰がどうしたとか、、、無理なんですけど!!と思っていた私です。
いま、あらためて物語というかストーリーを知り、
その時の状況を思い描きながら歩いたならば、見えてくる世界が違うと思っております。
あなたはどう、感じましたか?
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