ずっと活躍していても、いなくても

もう15年以上前に、とあるパーティで知り合ったライターのKさん。大勢いた中で自己アピールが強いわけでもなく、こちらが気後れするようなおしゃれでもないが、よく見るとセンスを感じるような人だった。当時、雑誌の編集部に就職したばかりの私は、この世のものとは思えない美しい人、最新でいてかつ高価なモノ、仕掛けられた派手なイベントに触れ、日々胸をドキドキさせていたが、ふと出会うこういう人の印象は深く、心を奪われていた。

それから転職したり、それなりに年を重ねていろいろ業界を移ったが、それからもずっと年に数回、ニュースサイトなどでKさんの記事を見かけては、はっとさせられることが多かった。ずっと好きなものが変わらず、同じ仕事をしてることに、尊敬と才能を感じた。

先日、働き方をテーマにしたライフスタイルブックを読んだ。そこに載っていた某出版社の編集長だった人の話。編集長という職から社内異動があったり、自身の年齢を考え、早期退職制度に手を上げ、書店に勤めはじめたというインタビューだった。彼女いわく、20代、30代、40代…それぞれにやること、自分の在り方は変わってくるという話だった。どうしたって40代ならではの働き方というと、何だか年齢に負けて、古臭いとされ、ラクで面白くないことをしなくちゃいけないのかとか、何かを諦めたり、社会的に降りなければなければならないとか、マイナスを突き付けられる気がしていた。また、若い時にそれなりの成果を出していないと、40代、50代になって好きなことなんてやらせてもらえないんじゃないかとか。特に、ポジティブな誌面で世に出てくる話は成功した話ばかりだ。

でも、そんなとき私はいつも思い出すことがある。それまで専業主婦で、働いたことも、ビジネスのビの字もわからなかった女性が、子どもの自立を機に、素敵な街にカフェを開いて60、70歳過ぎても元気に楽しくやっているという話。

話は違うがホリエモンが、鮨屋に修行は必要ないといった話。Youtubeで寿司の握り方を学んだ高校生がコンテストで優勝したそうだ。

(結果的に)現状を積み重ねてしまった40代、50代…。他人(会社の上司だけでなく、広く一般の転職市場)から見て、その積み重ねに大した価値がつかないと知ると誰でも愕然とするものだ。上記の子どもの自立を機に開いたカフェで、それまでの人生の積み重ねを聞いて店に入るかどうか決めるお客さんはいないだろう。まさに目の前でいま、素敵な空間とおいしいコーヒーが提供できていればいいのだから。

であるとしたら、仕事でも実は同じなのではないかとも思う。目の前のお客さんにとって自らが利益をもたらすパートナーだとしたら、その人がどんな歩みをもっていようが、過去に業界に輝かしい実績を残していようがいまいが(そんな人はそもそも数%なのだから)関係ないのでないかと。今なり、数カ月、そう遠くない未来に利益をもたらしてくれる人・会社こそ求めていることなのだからと思う。そうなってくると総括して、やはり「いま」にかかってくる。一巡して、やはりそう思えてくる。

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