【日記】理不尽にどこまで立ち向かうべきか

常日頃から理不尽を感じることはあるが、その理不尽の原因が政府あるいは巨大な企業などの意思決定によるものだとすると、基本的にその理不尽が覆ることはないと思っている。

その理不尽の度合いがあまりに酷く、大勢の人々が抗議を起こすようなものであれば再検討のために延期されたり最終的に決定が覆ることもあると思うが、奮闘もむなしく理不尽がまかり通ってしまうことは多々ある。当然、こちらにとって理不尽に見えていても相手にとっては理不尽ではなく必要な対応ということもあるし、一概に全てを抗議して覆すべきだとも思っていない。

しかし、それはそれとして自分の不利益を簡単に受け入れられはしない。私はフリーランスのUnityゲームクリエイターを自称しているが、インボイス制度が抗議の甲斐なく進行していたり、Unityが突然の価格改定をしたことでF2Pモデルが破壊されかけているのを目の当たりにすると、どうやって心の整理をつけるべきか非常に悩む。

こういったことに慣れてしまうと、理不尽に対して「どうせ抗議しても変わらない」と諦めて素直に不利益を受け入れる癖がついてしまう。もちろん、あまりに問題が大きい場合は私1人が抗議に加わったところで最終的な結果が変わる可能性は極めて低いとは理解している。抗議といっても、精々Twitter(最近はXを自称しているらしい)に反対意見のツイートが数個増え、noteに関連記事が1つ増え、何かの署名の数が1増えるだけで最終的な意思決定には影響を及ぼさないだろう。その点は体感的には選挙と同じだ。私は選挙には行くようにしているが、現在の立場では極めて小さい影響力しか認められておらず、私1人が1票を入れたor入れない未来をそれぞれ観測できたとして候補者の当選結果が変わっているとは欠片も思っていない。選挙や政策のような大人数が関わる意思決定においては、もはや個人の力というのは極めて小さくなってしまい、いかに大衆が動いたかという結果が反映されたに過ぎないと考えている。

個人によって少しでも統計を傾ける行為は最終的に大衆全体の意見となるとは思っているので、一応選挙ぐらいには行くようにしている。しかし、世の中の理不尽全てに対して同じように抗議をしていけるほど現代の理不尽は少なくないと思う。ニュースやSNSには今日も大量の理不尽がばら撒かれている。インボイス制度やUnityの価格改定に限らず、例えば物価であったり、戦争であったり、数え出すとキリがなく、これら全てに対して大衆の意見を動かすような抗議活動をしていると人生が抗議で埋まってしまう。

人生において実現可能性が低くリターンが少ないことに対してそこまで労力をかけるつもりはない。なので、結局のところ私個人の選択肢としては「自分の力で変えられそうな理不尽だけ変えようとする、それ以外は受け入れるか代替案を探す」という消極的な結論になってしまっている。この文章をChatGPTに突っ込んだら「理解できます、少しずつ変えていきましょう」のような正論を言われたが、善や正義を標榜するつもりもないし、余計な精神力を使わず穏やかに過ごしたいものだと思う。

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