邂逅

映画を観た時から、彼の絵をこの目でみたいと思っていた。彼が生涯をかけて描き続けてきたものを。

一番好きな「星月夜」は、ニューヨークにあるらしい。いつか行ってみたい。アムステルダムにあるゴッホ美術館にも、いつか必ず足を運びたい。日本にもきっとあるはずだと思って調べる中で、ポーラ美術館の企画展が目に留まった。

「印象派、記憶への旅」と題されたそれは、その名の通り印象派の風景画を中心に計73点が展示されるというものだった。今月ちょっと金欠だとか、交通費がバカにならないとか、そういうことは全部忘れて、私は友達と企画展へ行くことにした。道中には紫陽花がたくさん咲いていて、その日は雨だった。

恥ずかしい話だけれど、印象派の画家は、ゴッホとモネくらいしか知らなかったので、展示室1には、知らない絵と知らない名前、あるいは聞いたことがあるけれどよくは知らない名前と、見たことはあるけれどこれまたよく知らない絵がずらりと並んでいた。

印象派の絵が持つぼやぼやとした不鮮明さは、詳細に思い出すことのできない夢の景色と似ていると思う。一枚一枚の絵に吸い込まれそうになりながら、展示室をあるいた。たくさんの絵にたくさんの景色、たくさんの人、たくさんの画家、たくさんの世界。一枚一枚眺めるたびに私の心に生まれるこの感情はなんだろう。

印象に残った絵はたくさんあった。シニャックの「パリ、ポン=ヌフ」やモネの「セーヌ川の朝」「睡蓮の池」、シスレーによって描かれる水辺の数々。

どうして人は、写真や動画といった技術が生まれても、絵を描くことも眺めることもやめないんだろう。

「主張があっても、それを原稿にして読み上げたりするくらいだったら、絵を描いたほうがいい。そのほうが伝わるし、性に合ってる」というような趣旨のことを、以前絵を描く人の口から聞いたことがある。描くことでしか伝えられない人がいるということは、きっと描くことでしか伝えられないこともあるのだろう。

絵画は、そういう思いを幾重にも塗り重ねられて、長い長い時を超えて、私の眼前にあった。月並みだけれども、何度スマホの画面でその画像を目にしても、本物を前にした時のあの感覚は味わえないだろうと思った。無限にも思える色彩の中で、私は浅く息をしていた。油断をしたら呑み込まれてしまうような気がした。

展示室1をでて、エスカレーターを降りた地下に、展示室2がある。入ってすぐに目に入るのは、キャンバスのまま、360度見える形で展示されているゴッホの「草むら」だった。キャンバスの裏に回り込むと、裏面には彼の名前が書かれていたり、ラベルが貼られていたりする。まごうことなき彼の、そしてこの絵が過ごしてきた年月の、痕跡であるような気がした。

彼の絵はこの企画展の中に三枚ある。一枚目が先述した通り「草むら」そして「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」、三枚目が彼が亡くなる約一ヶ月前に描かれたと言われている「アザミの花」だった。橋の絵は光で満ちていた。空と川の透き通った青、人物を縁取る赤、橋や地面の黄色、子供の頃に見た景色のように鮮やかな色彩。彼がアルルで他の芸術家を待っていたときの絵だ。

3枚目の「アザミの花」は精神科医ガシェの家でモチーフを見つけて描いたものの一つだ。この一ヶ月後に彼は亡くなるけれど、最後の最後まで描くことを諦めなかった人だということが、あの絵をみればわかるような気がした。美しいものを描こうともがき苦しむ人の精神は美しい。ツボ、それに入ったアザミの葉、それから花、それら全ての質感をキャンパスの上で表現し尽くそうと追及した成果がそこにはあった。

彼に、どうしてそんなに頑張るの、と聞いてみたいと思ったことが何度もあった。

私はちょっとした失敗から、頑張ることが嫌いになった。自分の人生も嫌いになった。世の中には報われないことが多すぎる。全てをかけて戦って、裏切られるのが嫌だった。だったら初めから自分の可能性など捨てておいたほうがいい、傷つかなくて済むから楽だ、そう思っていた。転んでも立ち上がるのが強さなら、私は転びたくないから歩かない人間だった。だってその方がいい、思い知らなくてすむから。私が本当はダメな人間なんじゃないかとか、そんなこと考えずにいられるから。

彼の生涯を知っていくたびに、何度も思った。やめたらいいじゃないか、なんで頑張るんだ。他に何もなかったわけじゃないだろうに、どうして描くんだ。どうしてやめないんだ。どうして自分の人生を諦めないんだ。

「アザミの花」の前で、私はまた、浅く息をしていた。彼もまた、描くことでしか伝えられない人なんだと思った。力強く、けれど繊細で美しい絵を描く、もういない人。

───たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ。

自分を見捨てない人は綺麗だ。生涯をかけて自分のできることを証明し続けた彼の絵が、そのとき、確かに私の目の前で輝いていた。この絵はきっと祈りだと、そう思った。たとえその一ヶ月後に、自殺を図るとしても。


もういない人、美しい人、どうか彼の絵が、彼が、この先もたくさんの人に愛されますように。


#ポーラ美術館 #ゴッホ


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