渡辺努『物価とは何か』――エロ小説書き、本を読む#10

 ひょんなことから、ガチガチのR18小説を書き始めてしまったアマチュア小説書き。でもだからこそ、本を読まなくちゃ!
 というわけで、中断していた読書感想記事を再開することにしました。相変わらず無節操な行き当たりばったり読書、よろしければどうかお付き合いのほどを。
 過去の読書感想 →https://zsphere.hatenablog.com/


 定期的に、全然触ったことのない分野の本を読んでみたくなるという人間でございます。
 右も左も分からないから読むのに苦労したりもするけど、何だろう、まだ誰も足を踏み入れてないまっさらな雪原を歩くような爽快さがあるよね。そんな気がするんで、たまたま店頭に積まれていた本書を手に取ってみたりして。

 私個人はお世辞にも金銭とうまく付き合って世を渡っている人間ではございませんが、お金の話にはそれなりの関心はあります。そもそもなんで、お金なんて紙が世の中のあらゆるものと交換できるのか、お金って結局何なのか、みたいなレベルでの関心ですけれど。
 ……とはいっても、じゃあマルクスの『資本論』とかもちゃんと目を通しているかというと、そこまではいっていないという程度なので、あまり胸を張って言えるほどでもありませんがね……w

 本書は非常に優しい語り口で、入り組んだマクロ経済の話題も素人に分かりやすいように噛み砕いて書いてくれている良書だと思いました。
 で、まぁ、分かりやすいように噛み砕いて書かれているので、インフレやデフレを巡るお金の仕組みが「わかった」かと言われると、「うむ、スケールでかすぎて分からん」ってなったわけですw
 とはいれこれは読書が無駄だったという意味ではないです。「わかる」か「わからない」かの二元論では物事の理解って語れないですよね。むしろ、「良質なテキストのお陰で、よりクリアに”わからない”ところが明確になった」っていう感じ。ぼんやり雲を掴むような話だった「わからないこと」の輪郭が少しはっきりしたような感触、これはかなり大きな前進かなと。
 今後私がインフレとかデフレについてツイートする時に、今までよりちょっとだけ境界条件の整理されたコメントが出来るかも知れない、相変わらず全体像はさっぱりわからないけどね、というところです。


 それにしても。我々がその生活を託している経済の基盤、その大本になる理論が思ったより歴史が浅く、しかも私が物心ついてから以降に限ってもかなりドラスティックに変わってたんだな、というところに素朴に驚いた部分はありました。
 無論それは、当該分野の知見が日進月歩だという意味でもあるわけですけど、逆に言えばいまだにけっこう手探りしながら、理論をその場で組み立てながら現実に対応しているっていうことでもあり、まぁちょっと心細さも感じたりはしましたね。

 言われてみれば私が子供の頃はニュースで「公定歩合」って言ってたな、っていう記憶はあって。それが使われなくなったタイミング、日銀の制度が大きく変わったタイミングを私は通過しているはずなんだけど、全然気づいてなかったし、そういうニュースを目にした記憶というのも全然残っていない。世の中の制度がけっこうドラスティックに変わっても、自分にそれを受け止める下地がなければまったく関心に引っかかりもしないんだなというところに、わりと怖さを感じたりもしました。それら変化は、日常的に購入する物の値段という形でダイレクトに我々の生活に関わってくるのに。

 どれほどシャワーのように情報を浴びたとしても、受け手の側にその情報を整理分類して収納できる引き出し、受け皿がなければ、重要な情報であろうと容赦なく素通りして、認識もできないまま過ぎ去ってしまう。そういうことに少しでも抗うには、とにかく自分なりに勉強してそういう受け皿を自分の中に作っていくしかないことだな、と。
 少なくとも本書を読んで以降、日銀の制度やインフレ・デフレに関連するニュースを前よりは注意深く受け止めることができるようになるでしょう。そう願って……。

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