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プチ・ニコラウス

 12月に入ってから、パパはうきうきしっぱなし。今朝はなぜか鼻歌でも歌いそうな勢いで靴を磨いている。

「パパがブーツの磨き方を教えてあげよう。いい子の証だよ」
 この間、クリスマスの日までを数える『アドベントカレンダー』っていうのを教わったばかりなのに、また何かを覚えなきゃいけないみたい。12月って、なんて大変なのかしら。
「今度はなぁに?」
 元孤児だったわたしは、この家の養女になってはじめてのクリスマス。「普通」のおうちでどんなクリスマスをしているかなんてわからない。8歳なのに何にも知らないってちょっと恥ずかしいけれど、パパが「わからないことを聞かないほうがよっぽど恥ずかしいことだ」って言うから、なんでも素直に聞くことにしてるの。
「明日、12月6日は聖ニコラウス・デーといってね、サンタクロースのモデルになった聖人の祝日だよ。彼は貧しい人を助け、子どもをかわいがったために、弱者と子どもを守る聖人とされているんだ。”彼が貧しい人のために窓から投げ入れた金貨が、暖炉に干されていた靴下に入った”というエピソードにちなんで、靴下や靴を用意するんだ。彼はいい子とわるい子を見分けて、いい子にはプレゼントを、わるい子にはおしおきを与える。だからお手伝いをしていい子にしていた証明に、靴を磨いておく習わしなんだよ」
「12月25日以外にもプレゼントがもらえる日があるなんて知らなかった!」
「子供は特別」
 パパは歌うように言うと、わたしのブーツを取り出して、パパの靴磨きセットと並べてくれた。

 パパの靴磨きセットはとってもカッコいい。木の箱に二種類のブラシと、布と、おしゃれなデザインのクリームが入っている。パパは慣れた様子でささっと靴を綺麗にしていたけれど、わたしにはちょっと難しかった。パパが後ろから抱っこして一緒に手を動かしてくれて、二人でくっついて一生懸命ブーツを磨いた。
「昔の子供はお小遣いを稼ぐために、大人の靴を磨いたそうだよ」
「リコもそうだったの?」
 私はまだパパのことを、恥ずかしくってパパって呼べない。だから愛称で呼んでる。
「私の子供の頃は、靴磨きのお手伝いはなかったなぁ」
「わたしも今日がはじめてだわ」
 ちゃんと覚えたら、パパの靴も磨いてあげようかな。
「できることが増えると、楽しいな」
「うん」
 わたしはこの家に来て、はじめて知ることも、できるようになったこともいっぱいある。全部、パパのおかげだ。

 パパはとっても優しくて、毎日靴も綺麗にお手入れしていてよい子なのに、聖ニコラウスがもう来てくれないのは、なんだかかわいそうだなって思った。こんなにもクリスマスを楽しみにしているんだもの。パパにだって、プレゼントがあったっていいじゃない?
 それで、とってもいいことを思いついちゃった!
 聖ニコラウスが来ないのなら、わたしがパパの聖ニコラウスになればいいんだわ。

 おうちをこっそり抜け出して、パパ行きつけのパティスリーを目指す。家族に秘密で出かけるのはなかなかスリリングだった。過保護なパパに心配をかけるのは悪い子みたいで気が引けたけど、きっとサンタさんだって許してくれるはず。いつもは車で行くけれど、今日はバスに乗っていく。こんなときのために、こっそり貯めておいたお小遣いが役立つのよね。
 パティスリーはバスで3つ目の停留場の近く。バスの乗り方をパパに教えてもらったときに覚えたの。わたしはもう8歳のお姉さんだから、おつかいだってきちんとできるのよ。バスにひとりで乗るのははじめてだったけど、ちゃんと黒い壁に金の文字が掲げられた、いつものパティスリーに辿りつくことができた。ずーっとどきどきしながらバスに乗っていたから、いつもより疲れちゃった。
 パティスリーのドアは大きくて重いけれど、わたしは知らない大人についていって、すっとお店に入り込んだ。中はあまーいチョコレートのにおいでいっぱい!思わずお気に入りのキャラメルボンボンを買おうとしてしまうけれど、ここは我慢。パパがいつも買ってる、ちょっと苦いチョコレートを探す。お仕事の合間に、脳を休ませるために食べるやつ。
 お店の木製の棚には綺麗に包装された焼き菓子たち、金色の棚には黒い箱に上品に並べられたチョコレートたちが並んでる。そのほかにはガラスケース。ガラスケースから好きなチョコレートを選んで包んでもらったりもできるの。だけど、今日のお目当ては決まってる。わたしは一生けん命あたりを見回したけれど、パパのチョコレートがどこにあるのかわからなかった。
「何かお探しで?」
 後ろから声がかかる。ちょっとびっくりして振り向くと、おっきな体で白い服の、サンタクロースみたいなおじさんが立っていた。なんだかいい人そう!
「パパがいつも食べてるニコラさんのチョコレートを探しているの。ちょっと苦い、このくらいの大きさのやつ」
 わたしは指で丸を作って大きさをしらせた。てのひらにコロンと乗るくらいの丸いチョコレート。
「おやおや、どなたかと思ったら、ザッフィーロさんのお嬢さん。今日はおひとりで?」
「おじさんはわたしを知ってるの?」
「いつも店の奥から、お父様と仲睦まじくお買い物をする姿を眺めていたので」
「まぁ! それならおじさんは、パパのチョコレートを知ってる?」
「もちろん。ニコラ=ショコラ・ノワールですね。ほらここに」
 わたしの背丈では見えないちょっと高い位置にそれはあった。普段はパパがいつのまにか持ってくるから、どこにあるのかわからなかったのよね。わたしがほかの甘いチョコレートに夢中なせいもあるけれど。
「ありがとう! おいくらかしら」
「そうですね、こちらは……」
 値段を聞いてびっくりした。だってわたしのお小遣いでは足らないんだもの。
「あら、わたしのお小遣いでは足らないわ。ごめんなさい」
 わたしはしょんぼりしてしまった。チョコレートがこんなにも高いだなんて知らなかった。
「おや? お父様のおつかいではないのですか?」
「パパにこっそりプレゼントするつもりできたの。あのね、明日は聖ニコラウス・デーでしょ? パパだって一年いい子でいたのに、子供だからって、わたしだけがプレゼントをもらえるのは不公平だって思ったの。だから、わたしが聖ニコラウスの代わりに、パパにプレゼントをあげることにしたのよ」
「なるほど」
 サンタクロースみたいなおじさんは、サンタクロースよりは短い、ちょっと硬そうなあごひげをなでながら考え事をはじめた。
「では、私と取引しませんか、お嬢さん」
「とりひき?」
「ニコラ・シリーズの新作チョコレート3粒セット、あなたのご予算でお譲りしましょう。かわりに、あなたはお父様の感想を私に伝えてください」
 わたしはうーんと考えた。
「子供だからって、おまけしてもらうのはよくないと思う」
 パパはいつも言ってる。どんな事柄にも、正しい対価が支払われるべきだって。
「これは立派なビジネスですよ、お嬢さん。私があなたへ格安で新作を提供する。あなたはお父様の感想を私に伝える。すると私はお客様の率直な感想を知ることができる。情報は価値あるものです。代金の不足分はそれで補ってあまりあるものです」
 おじさんはすっごくお堅い言い方をしたけれど、なんだかサンタクロースみたいなつやつやした笑顔でウインクしてくれた。わたしはお金の代わりに重大な使命を任されたのだと思うと、すごく誇らしい気分になった。
「お約束します、ミスター。わたし、きちんとパパの感想をあなたに伝えるわ」
「楽しみにしております。よい聖ニコラウス・デーを」
 
 さて、12月6日。わたしはパパと一緒に玄関に向かう。ピカピカに磨いたわたしのブーツには、可愛くラッピングされたお菓子の詰め合わせ。それと一緒に、きらきらとしたかわいい髪飾りが入っていた。
「すてき!」
「どれ、つけてあげよう」
 パパが砂糖菓子みたいに甘ったるい顔をして、私に髪飾りをつけてくれる。仕上がりの合図はおでこへのキス。ちょっとくすぐったい。
「かがみ、見てくる!」
 お姫様みたいにかわいくなった自分を見るのは楽しい。うしろにやってきたパパは、なぜかわたしよりも嬉しそう。
「気に入った?」
「うん! ありがとう!」
「お礼は聖ニコラウスに」
 気取った顔でウインクするパパに、心の中でもう一度ありがとうを言う。きっと、聖ニコラウスの正体はパパなんだわ。
「じゃあ、いい子のマルティナは、お留守番を頼むよ。私は出かける支度をしてくるから」
 朝食のあとは、パパはお仕事だ。パパが身支度をしている間に、こっそりと玄関に向かう。ピカピカの革靴に、あのチョコレートをそっと入れておく。サンタみたいなおじさんが、すてきにラッピングしてくれたから、とっても見栄えがいい。わたしの聖ニコラウスもなかなかのものだったけど、わたしだって、負けてないわよね?

「マルティナ!」
 玄関から叫び声がする。わたしはソファでまったり……うそ、すごくそわそわしていたんだけど、パパの大声で飛び上がった。バタバタってすごくあわてた足跡が近づいてきた。
「ああ! なんて素敵なんだ! わたしの可愛い可愛い小さなニコラウス!」
 パパはわたしを抱き上げると、両方のほっぺにチュッチュッて、キスをした後、まだ足らないとばかりにおでこにもチュッとした。くすぐったいったらない。わたしはパパのキス攻撃を避けながら、必死でお願いをした。
「ねぇ、ちょっと、出かける前に一個だけ食べてみてくれない? お店の新作なんだって。どんな味かしりたいな」
 そうしたら、パパは困ったような顔になった。
「いますぐに? なんだかもったいないな……しばらく眺めていたい」
「もう! そんなこと言わないで! ね?」
 私には重大な使命があるんだ。ここでパパに負けるわけにはいかない。首をかしげて可愛くおねだりすると、パパはずいぶんと慎重な顔でそっとラッピングを取って、わたしに箱の中を見せてくれた。
「半分こ、しようか」
「だめよ! これはリコのだから、リコが全部食べるの!」
 パパはすぐになんでもわたしに分けようとする。悪い癖だと思うわ。わたしがぷんぷんしながら食べるのをじーっと見張っていると、パパはそうっとチョコレートを口にして、途端に泣き出した。
「ねぇ、どんな味? おいしい? 泣いちゃうくらいにがいの?」
 顔を覆うパパの手を引っ張って、わたしは必死に感想を聞く。パパったら、いつもはちゃんと食事のおいしさを言葉にできるのに、なんでなにも言わないのよ。
「うう……私に家族ができて、娘がこんなにいい子に育つなんて」
 パパはまだわたしを育ててない気がするな。だってこの家にきて、これがはじめての冬なのよ?
「私はなんて幸せなんだ……」
 わたしはすごく焦っていた。味の感想が全然ないじゃない! これじゃあ、おじさんとの約束が果たせない!
「リコ、リコったら、そうじゃなくて、ね? どんな味がしたか教えてよ」
 叩いてもゆすっても、パパはぐすぐすを鼻をすすりながら、わたしをぎゅっとするだけで何も言わない。困ったなぁ。

「仕事に行きたくない!」って駄々をこねだしたパパをなんとか追い出して、わたしはおじさんとの約束を果たすために電話をかけることにする。
 パパったら、いつもはしゃんとしてるのに、今日はぐにゃぐにゃだった。肝心のチョコレートの感想は全然ダメ。これをあのおじさんに伝えるのは、お高いチョコレートの対価としてはいまいちな気がする。わたしったら、ちゃんと使命を果たせないなんて、なんてダメな子なんだろう。

 ちょっぴり落ち込みながらも、おじさんからもらった名刺を見てみた。おじさんの名前は「ニコラ」さんっていうらしい。
 電話口に、ニコラさんを呼んでもらう。
「やあ、お嬢さん。早速のご連絡、ありがとうございます」
「あのね、うーん、パパったら、泣いちゃって、ほとんど……ううん、ほんとうは、ぜんぜん、味の感想を言ってくれなかったの」
「なぁるほど」
「『幸せだなぁ』っていうのとね、それとね、わたしのこと、『ちいさな聖ニコラウス』って呼んだの」
 あんまり使命を果たせていない気がして、わたしの声はだんだん小さくなる。それでも、電話口のおじさんは、弾んだ声でこう言った。
「ほほう。それは興味深い」
「ニコラさん、ごめんなさい。わたし、お約束が守れなかったわ」
「いえいえ、お嬢さん。言葉にするだけが食べ物の感想ではないのですよ。そこに至る物語や、食べた人の反応も大切なのです」
 
 わたしがあんまり参考にならない感想を届けたチョコレートは、その日のうちに「Petit Saint Nicholas」(小さな聖ニコラウス)と名付けられて、”可愛い子供から愛する親へのプレゼント”という逸話といっしょに販売されることになったらしい。
「販売戦略には『ストーリー』も重要なのです」
 後日、おじさんはホクホク顔で秘密を教えてくれた。新作のプチ・ニコラウスは、お店の在庫がなくなるくらい、たっくさん売れたんだって!

2023/12/6 初稿
2024/3/23 改稿