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海はいつから星はどこまで①

「いい年こいて男だけでそんなことして楽しいの?」

と言われた。金曜日の有給を申請するときに。

「釣り旅行なんですよ。台風が来てるけど少しぐらい雨が降ってても決行するんですよ。大学の時の演劇サークルの先輩とかと一緒に千葉の館山の海べりのキャンプ場で一泊して、朝も夜も釣りをして釣れた魚でバーベキューしながら肩を組んで海の歌を唄うんですよ。イカを干しながら。」

とは言った。それはそれは…みたいな感じだが、女も1人いる。男4、女1で1人欠席で4人だ。女も男も関係ない。海の前ではちっぽけなことだ。

台風の中、千葉の館山へキャンプに行った。目的は釣り。釣れなかったらご飯抜きぐらいの意気込みがあった(高速を降りてすぐにイオンに寄った)。

広瀬さんの欠席の報告を聞いて、行くって言わなければよかったなと思いつつ、薄曇りの朝に目が覚めたので駅へとぼとぼ歩く。名古屋から品川まで行けばレンタカーで拾ってもらえる。途中で海ほたるに寄るといいなあ。品川まで新幹線では2時間ある。どう頑張っても釣竿がカバンからとびだすので先っぽに手ぬぐいを巻いた。パンツは2枚持った。

駅で天むすとお茶を買うと少しずつ気持ちが盛り上がってきて、今日を有給にしてよかったと思った。金土から日月まで4連休だ。ツイッターを見て少し小説を読んで、すぐに眠くなって目をつむった。眠ろうとしたがワクワクしてきてしまった。

イカを釣ろうと思っていて、思ってはいたのにイカの釣り方がわからないのでインターネットで調べる。新幹線の無料Wi-Fiをここぞとばかりに使う。ふむふむ、こうやって捌くのか…。

「イカは真水に弱いので、雨の日には沖の方へ逃げて行きます。」

僕らは陸っぱりから竿を出すのに…。そうこうするうちに電車が品川についた。もう雨が降り始めている。台風が来ているのだ。仕方のないことなのだ。

品川で電車を降りて、帽子をかむって車を待つ。茶色のワゴンが向こうから来るのを待つ。会ったらどんな話をしようか。イカなんていいんだ、僕らは何の話をすればいいのか。言われた方の出口から出て、帽子を深くかむり直したらすぐにクルマが来た。慌てて駅のひさしから飛び出して走る。(海まで!)何だか照れ臭いような気分で帽子をとって、積もる話もないのに少しだけもったいぶりながらおしゃべりする。何の話をすればいいのかと思って考えたことなんて1つも言えなくてでも楽しくてああもうこのままずっとクルマにいたいなと思っていたら海が見えてきたので「海だ」と言ってしまった。この長い一直線の道路を走りきった先にそれはある。パーキング・エリア「海ほたる」。足湯があり、パン屋がついていて、お土産も買えるしタバコも吸える。1日遊べる最高の施設それが海ほたる。

それぞれ思い思いに食べたいものを買いに行って空いてる机のとこに集合した。宮本がなかなか来ないなと思ったら帽子を買ってきた。本当はパーカーを探していたらしい。肌寒いもんね。メッシュキャップを得意げにかぶり、頭だけでも暖かくなったそうで、それで満足ならそれでいいのだろう。みんなでパンやら焼きそばなどを食べる。海を見ながら(どのメニューにもアサリが山ほど入っていた)。壁には大きい窓があってどこにいても海が見えて、どこからどう見ても雨はグズグズと降っている。クルマへ戻る。

海ほたるを出て次の目的地は館山の釣具屋さんにした。リサイクルショップと併設の大きい釣具屋だ。そこを目指す。トンネルに入るたびに雨が止み、出るとやっぱり降っていた。台風が来ているにしては弱い雨だなと思った瞬間にバケツをひっくり返したような降水になり、釣具屋でカッパか何かを買おうとと話しあった。釣りは絶対にする。

イカは諦めて「ボウズのがれ」を買った。
「ボウズのがれ」とは、パッケージの説明によると、この仕掛けには針が2個ついているので、そこにむしを付けて糸を垂らして着底したらそのまま置いておけば良いらしい。水底と少し上の中低層を同時に狙えるので理論上はアジとヒラメを同時に釣ることも可能だと言う。惹句が振るっていて、「釣るまで帰らん!」と書いてあり、これしかないと思いこれにした。「釣るまで帰らん」と呟いてしまい、小林さんに聞かれて「その意気やで」と言われた。雨が降ろうと、ヤリが降ろうと。
古着コーナーにそれらしいヤッケがあったのでそれも買う。ガワは撥水で裏地に薄いフリースがついていていかにも暖かそう。色は僕の好きな緑色で、1,280円だ。LとLLがあったが、Lを試着したらじゅうぶんに大きくて暖かかったのでLに決めた。ポケットも大きくてイソメが千匹ぐらいは余裕で入りそうだ。佐藤さんは濃紺色のドカジャンを試着している。やけに似合うので少し笑ってしまった。宮本は薄手のジャージみたいなやつとネックウォーマーを買ってもう着ていた。小林さんはアウトドア用のちゃんとした上着を持っていたのでそれを着込んだ。

「旅先で買った服とかって愛着わくよね。」

って宮本が海ほたるで帽子を買ってきたときに言っていたのが、そのときには気にも留めなかったけどいざさっき買った1,280円のヤッケを着ると、こういうことかと腑に落ちた。

クルマに乗る前に店先でタバコを吸う。全員喫煙者なのにレンタカーだけ禁煙車なのだ。雨は強く、風はびゅうびゅうと吹いていて、波は高い。砕ける潮を尻目に口数少なくタバコを吸う。吸い終わった者からクルマに乗り込んでそれぞれにドアをバタンと閉めて、今日の宿の「白浜フラワーパーク」へ向かう。海べりのキャンプサイトにテント泊なのだ。今日は。外には嵐が、僕らの週末を巻き込もうと嵐が、生暖かい風を耳元に吐きながら嵐が、すぐそこまで来ているのだ。

雨だし平日なのでお客は少ないらしい。受付のお姉さんに諸々伝えて、泊まるところまでそろそろと走る。海べりのキャンプサイトには僕らしか予約していなくて、この大海原が実質的に貸切だと思うと胸が熱くなってきて荷物を出したらタモを持って海へ走る。(みんなだってそうするだろ?)
もう午後なので磯はほとんど海になっていた。少し深い岩場があったので佐藤さんが持ってきてくれた水中カメラを下ろして中を見た。

水中の様子。人類は月には行った。しかし、水中のことはあまり知らない。なぜならば、ほとんどの人類は水中で目を開くとぼやぼやとしかその世界が見えなくなってしまうし、そもそも息ができないのでがんばってもふつうのヒトは40秒ぐらいしか水中にはいられない。しかし、僕らが乗ってる小汚い大地よりも、ずっと水中は広い。いつも意識はしてるけど、見にいくとしんどいから気にしないようにしている水中。しかし水中カメラを持ってすれば、その深淵を、探ることが、できるのだ。

水面はあんなに荒れているのに、海中は穏やかだった。食い入るように見ているとたまに魚影らしきものが走るので興奮する。ずっと見ていたいがカメラを巻き取ってまたクルマに乗って釣りに行く。堤防の内側ならきっと波も無いだろう。雨も気にならないだろう。強くなる雨の中を港へ向かって走る。

雨は止む気配もない。港には人がいない。もう気にしてもしょうがないのでフードを被ってクルマから出る。漁港の事務所みたいなところの軒先を借りて仕掛けを作ったり、撒き餌を水で溶いたり、水中カメラのセッティングをしたりした。「この軒先から投げ釣りできないかな」と思ったけど、いざ堤防のふちに立ってみると足元に魚がたくさんいたのでもう雨は気にしないことにした。錘つきの針にむし型の疑似餌がついたやつを足元に垂らす。

撒き餌でたくさん寄ってきた魚たちの中心に疑似餌を落とすのだが全然食いついてこない。避けられている感じすらする。見えてる魚は釣れないよなと思いつつ仕掛けを着底するまで落としてフニフニ振ってみる。10分もやると飽きてきて、「釣りってこんなもんだよな」と思っていたら佐藤さんが何か釣ったので見に行くと小さめのとげとげの魚だった。「食べれるやつですか?」と聞くと、

「ダメだ。毒魚だ。トゲに毒があるんだ。」

とのことで、軍手を二重につけて慎重に針を外して、逃した。なんでも知らずに触って刺されたことがあり、めちゃくちゃ痛かったらしい。でも毒魚とはいえ、釣れたのはうらやましい。ゴカイで釣れたそうなので僕もわけのわからないものをフニフニさせるのはやめて、仕掛けを「ボウズのがれ」に替えることにした。釣るまで帰らん。久しぶりにゴカイを触って少し噛まれた。

なんとなく船の下とかに魚っているよなと思って船がある方に行く。小林さんが小さいメゴチを釣ったので、それがうらやましくて僕も水底のやつを狙う。スルスルと仕掛けを落として、コン、と着底したら少し竿先を上げ下げして待つ。なんとなくさっきより手応えがある。ぴりぴりと感触があり「魚だ!」と思ってリールを巻くとエサだけ取られていた。「やっぱり魚はいるんだ!」またゴカイをつけて、食べられて、つけて、食べられて、つけて。何回やっても面白い。

何回めかに食べられたときに竿先を上げたらギュッとしなった。リールが重たくていつもの力では巻き取れない。「根掛かりか」うんざりしながら引っ張ろうとすると糸が右へ左へ動く。魚だ、大きい魚だ。思い切りリールを巻く。それは案外すんなり上がってきて、見たことのある魚だった。釣れた。マゴチだ。30センチぐらいだがこれは食べる。食べるのだ。マゴチはおいしい魚だから。

僕も興奮している。トサカを立てて暴れるマゴチをつかもうとすると鱗が手にジャリジャリと逆立ち擦れて痛い。首に巻いていた手ぬぐいで包んで持って、もう片方の手で針を外す。口先にしっかり刺さって少し血が滲んでいる。返しが引っかかって固い。ひと思いに抜く。針をつまんだ指にゴリゴリと生々しい感触があった。竿は置いて両手で魚を持ち、バケツの方へ早歩きで歩く。釣れました、マゴチが釣れました。バケツに入れる。上から見てもマゴチだ。いつの間にか雨は止んでいたがもうずっと前から、雨など気にならなくなっていた。

決めていた時間になり、片付けを始める。食べられる釣果は僕に釣れたマゴチ一匹だった。バケツを覗くともうだいぶ弱っていたが、クーラーボックスに入れる前に血を抜かなければならない。

「えらか頭の後ろとしっぽの付け根をナイフで切って、しばらく水につけておけばいい。」

小林さんに言われてナイフを持つ。ちゃんと血は抜けてくれるだろうか。水はこれで足りるだろうか。この小さな刃物で大丈夫だろうか、どのぐらいの力でこれを押し付ければいいのか、針を抜いたときよりも強くか、僕はちゃんとできるだろうか。もたもた、もたもたしてしまった。小林さんがやってやると言ってくれてお願いした。

小林さんはひれで手を刺され、魚は動かなくなった。血だけどんどん出ていく。頭の後ろからしっぽの付け根まで水が血を押し出して通り抜けていく。バケツの中がみるみるうちに赤くなったので一度水を替えた。しばらくほかの片づけをして最後にクーラーにしまうときにはもうそれは、「鮮魚」といった佇まいになっていた。クルマでキャンプ場へ帰る間にまた雨が降ってくる。

キャンプ場の入口で小林さんと一緒に降りて受付に行く。今晩燃やす薪が置いてあるところを教えてもらうのだ。佐藤さんと宮本はテントのところへ行った。受付のおばさんはなかなか出てこない。

「マゴチ、ありがとうございました。手、大丈夫でしたか。」

「いいよ。捌くのは釣った奴が責任もってやるんだぞ。」

「魚捌いたことないんですよね。」

「ユーチューブとか見ながらやればなんとかなる。刺身にしてくれ。俺の出刃がテントの床にあるから先行って魚やっといてよ。」

「はい。がんばります。」

小林さんに薪を任せてテントへ歩く。雨はさっきより強くなっている。前がよく見えないのでメガネの水滴を手拭いで拭くと、さっき魚を包んだときに付いたぬめぬめがメガネについて目の前がもやもやになった。もうメガネを取った。

僕の目は悪い。小学生の頃からの近眼で乱視もある。プールの中で目を開ける練習をしている時のような視界だが、向こうの方に明かりがあるのでそろそろと歩く。足元の感触であぜ道のようなところを歩いていることがわかる。横幅が広い道なのでたぶんこれが車道だろう、ここをたどれば目をつむっていてもキャンプサイトに連れていかれるはずだ。分かれ道に出たのでまた明かりの方へと歩くと、ゲートのようなものがあり、これを抜けたら確かキャンプサイトだと思ってそこを進む。
明るい場所に着いた。おかしなことに屋根がある。雨にぬれなくて一安心したがここはどこだ。手に持っていたメガネをジーパンで無理やりグイグイ拭いてかけ直す。おしゃれな海の家みたいなところにいた。ここはどこだ。こんなとこ来たときにも見ていないぞ。海沿いのキャンプサイトはどっちだ。

雨に濡れたからだがどんどん冷たくなっていく。

もちろん、こんなところで道に迷ったところでどうにかなるわけはない。僕は冷静だし、ポケットにはスマートフォンがあるし、雨は降っているが風はそんなに吹いていない。ただ少し家が遠くて寒くて疲れているだけだ。こんなところでくたばるわけはない。その心配をするにはまだまだ早い。

「ざーん・・・どかーーん・・・ざぶーん。」

遠くで波が砕けるのが目には見えないのに鼓膜の感触で手に取るようにわかる。

急いでこの海の家を出る。慌ててはいない。けっこう長い時間アブラを売ってしまったのできっとみんなテントで心配しているだろうから、急がなければいけない。決して慌てない。冷静に急ぐだけだ。

冷静に小走りで悠々と走っていたら不意に地面が無くなる。すとんと体が飲み込まれた。顔が飲み込まれるときにメガネが取れたので慌てて手で掴んだ。本能的に体を「気を付け」の姿勢にした。鼻先から浮かんできて背中の全体と耳が何か途方もなくやわらかいものに支えられて、いま僕は宇宙と水平になっている。目が遠くまで見ている。視線が大気圏をすり抜けてあまりのことに脳が燃え尽きる寸前にこう思う。

「これが宇宙。」

目が宇宙に触ってしまった。心臓がじりじりしてその振動が水を伝わって耳に入ってきて、僕はプールに浮かんでいた。

ビアガーデンの横にあるプールに落ちたんだと気が付いて、でもしばらくこうしていたかった。僕は乱視なのでこの一面の星の瞬きの一つ一つの光りが散らばって花火のように見えるのだ。乱視でよかったなあと、このプラネタリウムを花火大会にしながらそう思う。細やかな光がつながって像を結ぶ。それは平たいからだに鰭を立てていた。水の底からじゃりじゃりと音がする。まるで鱗をさかなでしたような。思い出してプールに垂直に立つ。水位は胸の真ん中ぐらいの高さだった。

「魚を捌かなきゃ。」

(続く)



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