あるじなしとてはるなわすれそ
今住んでいる所は一軒家なのだが、実効支配的に母の生家に1人で住んでいるだけで、僕はこの家の歴史を半分以上知らない。
暇な日にいろんな引き出しを開けて見たりしていると、母が祖母(母の母)と祖父(母の父)と叔父(母の弟)が4人で暮らしていたときの証拠がぽろぽろと出てくる。僕が生まれる前のこの家の人生が出てくるのだ。
叔父さんが京都で大学生だったときの学生証。
祖父が勤め先で貰ったトロフィー。
祖母が園長先生だったときに園庭で撮った集合写真。
母が自分の部屋に飾ったねこやくまの人形たち。
そうやって残っているこの家の生活というものを、僕はほとんど見たことがないのだ。
今は僕がひとりで住んでいるこの家の全盛期というものを知らないで暮らしているのだ。
なんだかそれがさみしいし、この家もきっとそれをさみしいと思っているだろうな。
この家からあるじが去ってもう何年目だろうか。この春こそ、ここで春を忘れずにずっと居たものを見つけたいのだ。
玄関先にあるあの木だろうか。それとも裏庭にある鉢のどれかだろうか。
自分なりにそれを見つけて、これだと決めつけて、この家にそれを「これでしょ!」って言いたい。
もうすぐ春なので目ざとく見ています。
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