過ぎてゆく景色と企画もののお菓子

人知れず何万もの味が開発されて消えてく。
あれ、おいしかったけど、もうどこにも売ってないのかと落胆した経験は誰しもあるだろう。僕にはある。最近、初めてあった。

先にこの話をしたい。
そろそろ初夏で、枝豆のお菓子が続々と出てくる季節だ。しかし、新鮮な枝豆が自然にとれなくなってくる、夏の終わり、それらのお菓子は売り場から姿を消す。

それは仕方のないことだ。
季節商品の棚には限りがある。
秋になれば芋や栗やきのこや、とにかくおいしいやつらがどんどん出てきて馬がデブる。それほどの実りがある。
それがおいしいことも含めて、それは仕方のないことだ。

ある夏、『クラッツ』という硬くておいしいお菓子の、枝豆あじが出た。

それはそれはおいしくて、茹でたらフニャっとする枝豆の味を、その硬いプリッツェルに閉じこめておいしく、奥歯に詰まっていつまでもその夏を味あわせてくれた。

そんなお菓子があった。

僕が一番好きな人が、それを愛していた。その人は強い。強くて美しい。強いから美しい。

強いから、訴えかけた。

友だちに配り、ツイッターで騒ぎ、売ってたら買い占めまた知り合いに配り、配りに配り、騒ぎに騒いだ。

そしてその、クラッツの枝豆あじは、スタンダードとしてラインナップに迎え入れられた。

その話を面白半分で聞いていた。僕は。
愛したものが去っていく、去ってもう二度と会えなくなるという経験をしたことがなかったから。なかったし、それがお菓子のこととなったら、それはもうただの笑い話だろうと、そう思っていたのだ。

「味」という感覚を、甘く(「あまみ」という味覚ではなく)みていたのだと思う。

それを痛感したのはつい昨日のことだ。

いつも昼ごはんを買いに行く100円ローソンで、その味に、会ってしまったのだ。

それはレジの下の小さな棚にこじんまりとうずくまっていた。申し訳なさそうに。

パッケージをひと目みて、ココナッツサブレの文字が目に入った。
ココナッツサブレなら大好きだ!
でも、それのカレー味だという。

悪いことにパッケージの訴求力がない。
売れ残ったときに出会ったのもやんぬるかな、という感じのダサくてマズそうな袋だ。

しかし、目があってしまった。袋に描いてあるインド人と目があってしまった。

いつものよく知るココナッツサブレがインド人の姿を借りてぼくの新しいドアをノックしてる。

そんな気がしてしまったのだ。

そうなったら僕はもう、弱いよ。
一個だけ、と思ったけど、もしもおいしかったら、もう二度と会えなくなるから、その味に。
一生後悔するだろうなそれは嫌だなと思って二つ買った。ひとつ、38円だった。

家に帰って晩ご飯を食べて、お父さんに、ココナッツサブレ好きだよね?っていって渡して、クソミソにマズいって言われて、そんな筈ないだろ!って思って、食べた!おいしかった!

マズかったらよかったのに。
笑ってマズいねって言ってそれで済んだのに。

昨日買ってきたやつの袋に書いてあった賞味期限は、4月17日だ。

もう一生会えない味が、おいしいのに、人知れず廃棄処分されようとしている。

そういう悲しみが人生にはある。

#おやつ部

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