「金属バット」の「ラジオバンダリー」という「ラジオ番組」について
最近は仕事が終わると家で金属バットのラジオバンダリーばかり聞いている。
何かというとそれはラジオ番組で、金属バットという漫才のコンビがYouTubeに30分(回によっては1時間)ずつおしゃべりを吹き込んだものである。もう最終回したけど今でもYouTubeで聞ける。
金属バットというコンビを知ったのはすごく最近で、二日酔いで暇な週末に外にも出られずにインターネットをしていて、ギャオ(というインターネットテレビ)でM1グランプリ(漫才の大会でそういうのがある)(こんなに説明いる?)の3回戦からが無料で見られるというのをツイッターで見かけて、それを見ていて見つけた。
金属バットの漫才はすごく面白い。しかもカッコいい。そして心地よい。一つずつ説明したい。
1.面白いのに
面白いのはおしゃべりの内容が面白いから面白いのである。あえて「おしゃべり」という言葉を使ったのだが、金属バットが舞台で披露しているこの面白い演芸が「漫才」ではなく「おしゃべり」だからすごいのだと思うからである。
ボケの小林の方がツッコミの友保に話題を持ちかける。相談だったり、提案だったり、あるいは報告であったり。どうであれそれは突拍子もない話だし、聞いた瞬間に嘘を言ってるなとわかるようなことを言う。
それに対してツッコミの友保がコテコテのというか、もうズブズブの関西弁(河内弁?)で相づちを打つ。びっくりしたり、共感したり、助言したりする。
この「漫才」として当たり前のやりとりがあまりにも自然に展開されるので、僕は聞いていて「面白い漫才だな」とは思わず、「面白い人たちがおしゃべりしてるな」と思ってしまうのである。そして聞いていてめちゃくちゃ笑わされるのである。
ボケの小林が持ちかける話題がたとえば、ラジコンを作る趣味が高じて自分の等身大の像をラジコンにしたものを作って走らせていたののだが、コントロールが効かなくなって今も大阪の町のどこかでさまよっていると思う、お前はそれを見なかったかとかいう話なんだけど、それに対して友保は、この前パン屋の壁にお前がゴンゴンぶつかってたけどあれはそれだったのか、とか言う。「でっしゃろ」とか「まっしゃろ」とか「おまんねん」とかが出てくるレベルの関西弁でその話題で話すのだ。
友だちに「自分の像をラジコンにした」と言われたら、「嘘でしょ」となると思う。しかし漫才の世界ではそれを真に受けてそこから話を広げていくことがよくある。でも、金属バットの2人の演芸は漫才には見えなくて、ただただ面白い2人がおしゃべりしてるだけに見えるから、その「漫才の嘘」が気にならないのである。だから、確かに面白い人ってこういう話をいちいち嘘とか言わないよなと思ってすんなり話を聞く態勢になるのである。
2.漫才に見えないからカッコいい
笑わせようとして気張っている感じがないのである。「漫才ってこうだろ!?」とか「おれの好きな漫才はこうだから!」とか、そういう意気込みを見せずに、ただ舞台上で面白いおしゃべりをして、それを客に見せて、結果面白いと思われる。だから金属バットの漫才はカッコいい。
終わりにも「もうええやろ」とか「やめさせてもらうわ」とか、そういうのお約束のやつを言わない。フィギュアスケートだったら加点されるようなやつをM1でやらない。おしゃべりに飽きたので颯爽と去っていくように見えるような終わり方をするのだ。これがまたカッコいい。
3.それが心地よい
面白いし、カッコいいから、漫才に聞こえないのにダイラケ(中田ダイマル・ラケット)の漫才ぐらい面白くて、このおしゃべりをずっと聞いていたいなと思えるのです。
中学か高校のときの教室の昼休みに、異性を交えず何人かでかたまってダラダラとお弁当とかパンとか食べながらおしゃべりしていた連中の声を聞きながら、僕はお昼を食べ終わって寝たふりをして「面白いな」と思いつつ30分過ごしていたのですが、その100倍面白いおしゃべりを聞けるのです。クラスの一番面白いグループの100倍面白いおしゃべりを寝たふりしながら聞ける。こんなに心地よいことがあるか。
以上です。
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