雑司が谷散人の街道遊歩 0857
美濃路 4日目-03 2019.6.23
美濃路の道筋は俵町へ。
俵町の通りを今は「はな街道」と呼ぶが、これは街路樹にハナカイドウが植えられていることからの命名。
美濃路の道筋は京口の西総門へ近づくが、その手前右手に大垣祭の山車庫がある。
大垣祭は大垣八幡神社の例祭で、正保5年に大垣十ヶ町が10輛の軕を曳いたことに始まり、延宝7年に藩主下賜の3輛を加え、13輛が城下を練り歩くようになった。
浦嶋軕は屋形に浦島太郎を祀り、俵町の担当。
美濃路の道筋は、牛屋川に架かる京橋へ。
橋の手前が大垣城下の西総門跡地で、京口門とも呼ばれた。
牛屋川はこの橋のすぐ西で水門川に注ぐ。
京橋から水門川沿いを進むと、大きな道標が見える。
「左 江戸道」「右 京みち」と刻まれ、文政年間に西総門の南の美濃路沿いに建てられたもので、船町道標と呼ばれる。
美濃路の道筋は、水門川の東側を南へ進む。
東総門跡で水門川のそばを通ってきたが、大垣城の外濠を兼ねた水門川は、城の北側から西側を回って、ここで再び美濃路と出会う。
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