雑司が谷散人の街道遊歩 0854
中山道 8日目-15 2019.6.19
市村今朝蔵は雨宮敬次郎の妻の弟の子。
軽井沢の地主として別荘地の開拓をするとともに、学者仲間らと「友達の村」をつくり、多くの学者がこの地に別荘を建てた。
軽井沢中学前交差点でしなの鉄道の線路を渡ると、中山道旧道は前沢地区を西へ進む。
湯川沿いに、しなの鉄道の鉄橋下をくぐり、国道18号に出ると、沓掛宿へ。
江戸から19番目の宿で、軽井沢宿、追分宿とともに浅間三宿と呼ばれたうちのひとつ。
昭和26年の大火で宿の大半が焼失し、往時の面影は少ない。
国道18号北側に、長倉神社参道。
鳥居の奥で湯川を渡った先に、境内の森が広がる。
式内社長倉神社に比定されている古社で、天明3年の浅間山噴火で古文書類が焼失し、創建年代などは定かでないという。
長倉神社前を流れる湯川。
浅間山を源とし、江戸期には鵜川、大川、鼻顔川などとも呼ばれた。
この後、沓掛宿最寄りのしなの鉄道中軽井沢駅へ出て、碓氷峠越えの中山道の旅、8日目を終了。
中軽井沢駅は開業時は沓掛駅。
昭和31年に中軽井沢駅に改称。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?