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雑司が谷散人の街道遊歩 0705

中山道 4日目-05 2019.3.19

久下神社前に久下村道路元標が残る。
かつての久下村は昭和16年、権八地蔵のあった荊原が吹上町に、残りは熊谷市に編入。

久下村道路元標

久下の集落を抜けると、中山道旧道は再び荒川左岸の堤防上へと向かう。

下久下

中山道旧道右手に「ここは久下上宿」と刻まれた石造物。
久下は箕田、吹上とともに鴻巣宿と熊谷宿の間に置かれた間の宿のひとつ。

久下

中山道旧道が堤防に上がる手前に、久下権八地蔵。
長土手に上がる手前の荊原の権八地蔵と同じ物語が伝わる。
歌舞伎で知られる白井権八が、鳥取藩を脱藩した平井権八のこと。

久下権八地蔵

中山道旧道が堤防に上がるあたりは、平成15年の現久下橋完成によって姿を消した、久下冠水橋の架かっていた場所。
昭和30年頃に架けられた木製の冠水橋(沈下橋)で、それ以前は久下の渡しと呼ばれた渡船が荒川の両岸を結んでいた。

久下冠水橋跡地

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