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雑司が谷散人の街道遊歩 0778

日光街道 1日目-14 2019.5.4

埼玉県草加市に入った日光街道。
東武線谷塚駅に近づくと、旧道筋の県道右手に瀬崎浅間神社。
この付近は毛長川と綾瀬川による自然堤防上にあることから、瀬崎の地名があり、社地はその中心地。
大正5年築の富士塚が境内にある。

瀬崎浅間神社

県道は谷塚地区を北へ。
この付近も往古の低湿地帯で、標高3メートル前後の低地。

谷塚

吉町5丁目交差点角に火あぶり地蔵堂。
瀬崎に女中奉公に来ていた千住の娘が、病の母を看病したくとも奉公先から暇が出ず、家が燃えれば暇が出ると考え、奉公先に火を放ち、この地で火あぶりの刑に処せられたと伝わる。

火あぶり地蔵堂

草加市の中心部が近づくと、県道から左へ日光街道旧道が分かれ、草加宿に入る。
日光(奥州)街道が定められた当時、千住から越ヶ谷まで宿は無く、ルートも低湿地帯だった草加を避け、古利根川と元荒川の自然堤防に沿っていたが、後に千住と越ヶ谷をほぼ一直線に結ぶ草加の新道が開かれ、寛永7年に草加宿が定められた。

草加宿

開宿当時の草加宿は旅籠も5~6軒と少なかったが、正徳3年の神明宮の建立、六斎市の開始などで賑わうようになり、享保年間の頃から宿の規模も大きくなった。
天保14年には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠67軒を数え、日光街道では城下町の宇都宮、古河を除くと、千住宿、越ヶ谷宿、幸手宿に次ぐ規模となった。

草加宿

草加駅前への入口となる交差点角に、草加町道路元標が残る。
北足立郡草加町は明治22年の町村制施行で成立。

草加町道路元標

この後、東武線草加駅にて日光街道の旅1日目を終了。

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