雑司が谷散人の街道遊歩 0704
中山道 4日目-04 2019.3.19
久下の長土手は大曲地区へ。
荒川の流路が大きく南へ向きを変える場所。
土手下には、小さな八幡社の祠。
久下の長土手が行田駅に近づくと、堤の下にはマンションが目立つようになるが、このあたりが昭和22年のカスリーン台風で熊谷堤が決壊した場所。
この少し先に、久下の一里塚があった。
久下の長土手で目にする、かるたを模した案内板。
「馬子唄のどか」とあるが、長土手は「久下の長土手 深谷の並木 さぞや寒かろ 淋しかろ」と唄われた。
長土手から久下の集落に入る中山道旧道。
右手に久下神社。
久下は久下直光の在所で、荒川沿いと中山道の二ヶ所に三島神社があり、後の新川村と久下村それぞれの鎮守となったが、大正2年に合祀され、翌年に水害を避ける為にこの地に移されたという。
久下の中山道旧道。
律令制の頃、郡役所があったことから郡家と書き、これを「クゲ」と読むようになったというが、川の堤が洪水で崩壊することを「クケ」と呼んだとする説も。
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