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雑司が谷散人の街道遊歩 0507

所沢道 1日目-02 2018.9.23

中央線の線路に阻まれ、所沢道旧道の道筋は消滅。
中野駅の北側には跨線橋で進むことになる。
その跨線橋が、囲桃園跨線橋。
中野は五代将軍綱吉の生類憐みの令により「お犬様」を集めて保護した犬屋敷の跡地で、犬を囲っていたことから「囲」の地名があった。
その痕跡が跨線橋の名に残る。

囲桃園跨線橋

中野サンプラザの西側、帝京平成大学や明治大学がキャンパスを開いた一帯は、かつての「お犬様」囲の跡地で、その後は軍用地として陸軍中野学校が置かれた場所。
その西端に所沢道旧道が残る。
右手は陸軍中野学校跡地の一部。

中野

所沢道旧道は住宅地の中を進む。
よく見ると、道が決して直線ではないこと、そして傍に一本の大きな木がある様子など、この道が古くからあることを教えてくれる。

中野

環七通りに出る所沢道旧道。
大場通のバス停があるが、今の中野区大和町一帯は旧大場村。
昭和9年誕生の大和町は「だいわ」とも読めるが、大場と読みが似ていて、軍国時代らしい大和を新町名にした歴史がある。

大場通

大和陸橋交差点から早稲田通りとなる所沢道。
早稲田通りの旧称が大場通りで、先ほどのバス停名となる。

早稲田通り

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