雑司が谷散人の街道遊歩 0408
佐屋路 03 2018.6.12
名古屋の代表的難読地名ともいえる、五女子。
古く、七人の娘を嫁に出した領主が土地を分け与え、その順で一女子~七女子の地名が起こったと伝わる。
葦原を開墾した際の順番とする説がもっともらしい。
佐屋街道左手に現れる西洋館は、金印わさび本社北館で、大正末期頃の築。
もとはドイツ人宣教師邸だとか。
中川福祉会館前に、佐屋街道碑。
佐屋路の設置は将軍家光上洛の寛永11年で、初代尾張藩主徳川義直が開いたという。
海路となる七里の渡しを避けた東海道付属の迂回路で、東海道佐屋廻りと呼ばれたことも。
五女子に続いて、二女子。
近くには他に四女子もある。
長良橋で中川運河を渡る佐屋街道。
中川運河は国鉄笹島貨物駅と名古屋港を結ぶ水上輸送路として、昭和5年竣工。
長良橋からは名古屋の中心部が見える。
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