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雑司が谷散人の街道遊歩 0614

京街道 2日目-01 2018.12.19

東海道を三条大橋まで完歩した勢いでスタートした、東海道五十七次でもある京街道の旅。
2日目は中書島から。
中書島交差点から西へ向かう旧道。
これより伏見宿を出て淀宿を目指す。
やがて肥後橋で高瀬川を渡る。
高瀬川は京都市中と伏見を結ぶための運河で、慶長19年に開削。

高瀬川

京街道旧道は伏見みなと広場へ。
ここは淀川水運の伏見港跡地。
桃山期には伏見城下と大坂を結ぶ三十石船の港だったが、江戸期に高瀬川が開削されると京とも結ばれ、港の重要度は高まった。
坂本龍馬の常宿寺田屋も、伏見港の船宿。
明治期には琵琶湖疎水とも繋がり、琵琶湖への大型船も発着。

伏見みなと広場

伏見みなと広場の先は宇治川堤防で、ここに三栖閘門がある。
宇治川と宇治川派流の水位の差を解消して通船させる施設。
大正11年に築堤の改修が行われ、このときに派流との水位差が生じた。

三栖閘門

宇治川の堤防に出た京街道旧道は、新高瀬川を渡る。
すぐ目の前が宇治川に注ぐ河口地点。
昭和10年の鴨川大洪水の後、鴨川の改修で高瀬川は分断され、鴨川から下流部は完全に別の川、東高瀬川となり、これをさらに宇治川へ直接つなげた部分を、新高瀬川と呼ぶようになった。

新高瀬川

京街道旧道は宇治川右岸の堤防へ。
琵琶湖から流れ出た瀬田川は、京都府に入ると宇治川と名を変え、この先の桂川、木津川との合流点で淀川となる。
東海道の旅では瀬田の唐橋で瀬田川を渡ってきたが、これが今は宇治川となって目の前を悠然と流れている。

宇治川右岸

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