雑司が谷散人の街道遊歩 0749
中山道 6日目-02 2019.4.29
中山道旧道左手に陽雲寺山門。
新田義貞ゆかりの不動堂で、新田勝軍不動堂と呼ばれた時期も。
境内は金窪南城址ともいわれる。
中山道旧道右手の賀美小学校の敷地脇に、賀美村道路元標。
賀美村は昭和29年に神保原村、七本木村、長幡村と合併し、上里村となる。
勝場地区に入ると、中山道旧道右手に勅使河原一里塚跡。
勝場一里塚とも。
中山道旧道が国道17号に合流すると、神流川を渡る神流川橋。
親柱に小さな常夜燈が乗っているが、かつての神流川の渡しには両岸に常夜燈があり、渡河地点の目印となっていた。
本庄側の常夜燈は見透燈籠と呼ばれ、両岸を明るく照らしたという。
今は近くの大光寺境内に保存されている。
神流川一帯は、本能寺の変後、織田方の滝川一益と北条氏直、氏邦とが戦った神流川の戦いの舞台。
神流川橋の新町側には神流川古戦場の碑がある。
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