雑司が谷散人の街道遊歩 0836
日光街道 3日目-08 2019.6.13
幸手宿の中心部に残る、平井家住宅。
味噌屋の屋号だった穀物商。
主屋は大正9年築。
裏手には明治期の文庫蔵や米蔵が残る。
日光街道旧道右手に、モダンなファサードの名残を見せる建物は、旧野口堂電機店。
昭和初期の建物か。
日光街道旧道左手に、高濱商事。
肥料商や穀物商だった店で、建物は昭和9年築。
高濱商事の先を左へ入る道に、日光御廻り道の案内がある。
幸手宿から次の栗橋宿にかけては、水害多発地帯であり、特に権現堂川の水害を避けた西への迂回路が、御廻り道。
但し、将軍の日光社参では一度も使われることがなかった。
日光街道旧道は荒宿へ。
幸手宿を構成した右馬之助町、久喜町、仲町、荒宿の4ヶ町のうち、本陣や問屋場の置かれた宿の中心は久喜町、仲町で、南北の右馬之助町、荒宿には旅籠が多かったという。
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