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雑司が谷散人の街道遊歩 0782

日光街道 2日目-04 2019.5.8

草加松原から綾瀬川右岸に沿って進むと、前方に蒲生大橋が見えてくる。
その手前の対岸が、藤助河岸跡。
舟運で賑わった綾瀬川の河岸のひとつで、高橋藤助という人物が経営した私設河岸。
主に年貢米の運搬に使われたという。

藤助河岸跡

日光街道旧道は蒲生大橋で綾瀬川を渡る。
橋を渡ると越谷市で、かつては足立郡と埼玉郡の境。
江戸期には大橋土橋と呼ばれ、大正7年に木橋に架け替えられた。

蒲生大橋

藤助河岸跡地の前にある藤助酒店。
明治期の建物が今も残る。

藤助酒店

蒲生大橋の東詰に、蒲生一里塚跡。
街道東側の一部のみが残るが、埼玉県内の日光街道では唯一現存するのがここという。

蒲生一里塚跡

蒲生茶屋通りと呼ばれている日光街道旧道を進むと、蒲生郵便局の少し先に馬頭観音と不動明王像の入った祠が建つ。
不動明王像の下は道標で「是より大さかミ道」と刻まれ、大相模不動尊大聖寺への道が右へ分かれたことを示している。

大相模不動尊大聖寺道標

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